虐待される少女とその母親が社会からこぼれ落ちた男と出会い、再生していく姿を描いて話題になった映画「ひとくず」をベースにした「映像劇団テンアンツ」の舞台公演が7月4~9日に東京・下北沢の本多劇場で行われる。同劇団の主宰者で脚本・演出の上西雄大が同作の背景や思いを語り、映画をリメイクして世界発信するプランも明かした。
上西が監督・脚本・主演を務めた映画「ひとくず」は2020年春に公開された。母親に育児放棄され、その母と交際する男に暴力を振るわれていた少女と、その家に空き巣に入った男・カネマサ(上西)が出会い、虐待経験のある母親も含めた3人で新たな〝家族〟を形成していく物語。コロナ禍の中でロングランヒットとなり、海外の映画祭でも数々の賞に輝いた。
きっかけは、別作品の取材で訪れた児童相談所の嘱託医から聞かされた「虐待の実態」だった。
「タバコの火を手に押しつけられ、アイロンで体に火傷の跡を付けられた子どもがたくさんいると知って動揺しました。血縁関係のない第三者、例えば母子家庭の母親の恋人が家に入って虐待が起こるケースが一番多いと。また、子どもが電気の止められた真っ暗な部屋に放置され、食べ物もないのでティッシュペーパーを食べていたとか。一番心が痛かったのは実の父親による性虐待で、そこまでは僕も心がもたなかったので作品には描きませんでした。そういう子を助けようとしても、子どもの方が親をかばって『虐待されていない』と言えば、行政は手を差し伸べられないという言葉がすごくつらくて…。『端的に』救える者は誰かと考えた時、同じように虐待された痛みを知り、社会から破綻した人間だったら(法的な手続きなど経ずに)端的に救い出せるんじゃないかという発想から、この物語を一晩で書き上げました」
22年には大阪と東京の小劇場で初の舞台化。今回〝演劇の聖地〟での公演を記念して再演を決めた。映画版で母親役を熱演した古川藍、カネマサ(少年時代)の母を演じた徳竹未夏ら劇団員のほか、風祭ゆき、岡元あつこ、なべやかんら多彩なキャストが名を連ねる。地元の大阪では10月30日~11月3日にABCホールで上演予定だ。
「劇団として東京に出て来た頃から『いつか本多劇場で』という思いでやってきましたので大願成就の舞台です。映画は500万円で作り、多くの人に見ていただきましたが、低予算ゆえに映画としての完成度は低かったかもしれない。そこに悔いが残っていて、もう一度完成度の高い作品としてリメイクし、世界に広げていこうと動いていて、その流れの中に今回の舞台もあります」
観客に伝えたい思いがある。
「虐待する親も傷ついている。虐待を受けていた子どもが大人になって今度は子どもの愛し方が分からず、結局、自分の子も虐待してしまい、親もまた傷付いて…という『負の連鎖』がある。それを断ち切るのは『自己肯定』から…ということを伝えたい。映画と違って、舞台はお客さんが演者と同じ時間と空間を共有している。手の届く場で同じ空気を吸いながら、物語の深いところを受け取っていただけたら」
大阪での劇団旗揚げは48歳になる年で、演劇と映画という創作活動の両輪が本格的に回り始めたのは50代半ばからという〝遅咲き〟。改めて前歴を聞いた。
「僕は焼肉屋でした。大阪の焼肉店でまじめに働いていて、遅くに、俳優で演出家の芝本正さん(18年死去、享年74)に弟子入りして、芝居しか生きていく術(すべ)がなくなりました。どっちが幸せかというと、今の方が幸せかなと思います」
著名人の間でもファンが増えている。格闘家の前田日明から「『ひとくず』を観て号泣した」とのオファーを受け、6月に開催されたトークイベントで共演。上西は「前田さんが『感動した』と熱く語ってくださり、僕も背中を後押ししていただいた思いです」と手応えを示した。
昨年、還暦を迎えた。「子どもの頃、60歳って〝おじいちゃん〟だと思っていたので、自分が今、こんなことをやってるなんて思いも寄らなかったですけど、まだ、夢には届いていませんので、あきらめずに『ねばぎば』(ネバー・ギブ・アップ)で行こうかなと」。大阪・西成を舞台に赤井英和とタッグを組んだ自身の監督作「ねばぎば 新世界」(21年公開)のタイトルに思いを重ねた。