大河『べらぼう』江戸時代の遊女の身売りと身請け…苦界からの脱出が困難な理由 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎

 NHK大河ドラマ「べらぼう」第9回は「玉菊燈籠恋の地獄」。主人公・蔦屋重三郎(横浜流星)が想いを寄せる花魁・瀬川(小芝風花)の身請けを約束する話が描かれていました。

 身請けとは、遊女屋の客が気に入った遊女をその年季中に、身代金などを払って落籍させることを言いました。遊女になる女性は大別すると2つに分けられます。1つは自らの意思で遊女になる女性。もう1つは自分の意思とは無関係に親に遊女屋に売られる女性です。

 貧しい生活を何とかして乗り切ろうと、親が自分の娘を遊女屋に売るのです。娘の身を金に代えるのでした(身代金)。瀬川ほどの高級遊女ともなると、身請け金額も高額でした。高級遊女の身請け金は千両以上だったとされています。

 江戸時代、人身売買は厳しく禁じられていました。しかし、前述したように、親が娘を遊女屋に年季奉公(前もって金を受け取り、期間を定めて奉公すること)に売る「身売り」は珍しいことではありませんでした。1年を一季が原則でしたが、10年や20年分の金を前借りしてしまうと「終身年季」となってしまいます。繰り返すように徳川幕府は人身売買を全面停止としていました。

 が、そうすると人々は1年一季を繰り返し、それに対抗しようとします。よって幕府は「年季は3年に限る」との命令を出します。しかしそれでは不都合なことがあるということで、年季は「10ヶ年を限るべし」と法文を変更(1626年)。こうしたこともあって、遊女の世界では「十年年季」が通言となったとのこと。

 しかし年季が明けて、苦界(遊郭)から抜け出ることができた遊女は多くはありませんでした。借金が多く、その借金を返すために年季が明けても、身を売り続けなければならなかったのです。「苦海十年流れて 二十七明けての夢 嗚呼これ蜃気楼」との一詩(太田蜀山人『千紅萬紫』より)がありますが、この詩からは遊女の無念と諦観が伝わってきます。

 ◇主要参考文献一覧 ・小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)

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