G馬場さん追善興行の「安定感」〝あの頃のプロレス〟ファンで超満員札止め 天龍も、高山も…王道に集結

北村 泰介 北村 泰介
ジャイアント馬場さんのリングシューズ=後楽園ホール
ジャイアント馬場さんのリングシューズ=後楽園ホール

 昨年の東京都知事選や兵庫県知事選などに際して「オールド・メディア」というワードが批判的な意味でネット上にあふれたが、同じ「オールド」でも「古い/新しい」の二元論を越えた〝温故知新〟のスタイルもある。そんなことをジャイアント馬場さん(1999年死去、享年61)の命日となる1月31日に東京・後楽園ホールで開催されたプロレス興行で感じた。

 「ジャイアント馬場没25年追善~太陽ケア引退試合~木原文人リングアナデビュー35周年記念大会」と題された大会。チケットは早々に全席完売し、この日の観衆は「超満員札止め」の1717人。2階バルコニーの立ち見スペースに足を運ぶと、ファンが幾重にも重なって眼下のリングに熱視線を注いでいた。

 70代の人たちも存在感を示した。開会セレモニーに川田利明、田上明、小橋建太、グレート小鹿、ザ・グレート・カブキ、タイガー戸口、百田光雄、渕正信ゆかりの名レスラーが登場後、75歳の誕生日を2日後に控えた天龍源一郎が車いすで入場。角界から身を投じたプロレスラー人生の原点「王道マット」に〝凱旋〟した。また、ステージ4の食道がんで闘病中の西村修に代わって出場した71歳の藤波辰爾は必殺のドラゴンスリーパーで快勝。70歳の和田京平レフェリーは、今年引退を控える里村明衣子と高橋奈七永による白熱戦を裁いた。

 その和田氏の「レフェリーデビュー50周年記念」とも銘打たれたメインイベントは太陽ケアの引退試合。会場のスクリーンにはスタン・ハンセン、馳浩に続いて、懸命のリハビリを続ける高山善廣がサプライズ登場。大歓声の中、高山は「長い間、お疲れ様。またハワイに行った時は会いましょう。バイバイ!」とケアに惜別の言葉を贈り、満場の拍手が沸き起こった。ケアは花道に出る寸前、赤コーナー入場口の幕から姿を表すと、その幕にブリントされた馬場さんの等身大写真に拳を捧げた。

 メインイベントを観客席の後ろから見ていたレスラーがいた。セミファイナルにデビュー50周年の全日本OB・大仁田厚らと共に出場した雷神矢口だ。矢口は観客席を見回しながら「入ってますねぇ。〝あの頃のプロレス〟を観たい人たちがここに集まっているんだと思います。今、またプロレスが盛り返してきているのを感じます」と感慨を込めた。

 全試合を通じて派手な演出はなく、堅実でシンプルでベーシックな「オールド・ファッション」が貫かれていた。それでも観客を飽きさせない「安定感」があった。

 大会実行委員長を務めた和田氏は事前の取材で、95年の阪神・淡路大震災で被災地に馬場さんらと支援物資を届けた日々を回顧し、「全ての被災者の方にはできなくてもプロレスファンくらいにはできるだろうと。そんな馬場さんの思いがあった」と記者に明かした。そして震災2日後の1月19日に大阪府立体育会館で予定された興行を敢行し、フルタイムドローとなった川田と小橋による3冠ヘビー級王座戦の死闘を「歴史に残る試合。大成功に終わりました」と振り返った。

 こうしたファンとの一体感がプロレスの強みだ。ケアは引退セレモニーで「ニホンノファン、ドーモ、アリガトウゴザイマシタ」と日本語で感謝し、「あなたちがいなければ全日本プロレスも新日本プロレスもない。すべてはあなたたちのおかげです」と締めくくった。

 団体の枠を超えたファンあってのプロレス。馬場さんが不在となって四半世紀が過ぎた今も、その関係は受け継がれている。そう実感させられた。

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