昭和の四角いリングから飛び出した、ガッツ石松という〝マルチな才人〟がいた。75歳になった今、本人は何を思うのか。ボクシング世界王座奪取と映画俳優デビューから50年となる節目の年が去りゆく前に、ガッツがよろず~ニュースの直撃取材に応じ、近況や達観した現在の〝境地〟を明かした。
アジア人初のボクシングWBC世界ライト級王者として5度の防衛に成功し、俳優に転向して数多くの作品に出演。テレビのバラエティー番組ではボクサー出身タレントの草分け的存在となり、「OK(※オッケー)牧場」などの流行語を世に送り出した。「ラッキーセブンの3」「右に左折」「黙ってしゃべれ!」といった「ガッツ語録」は嘉門達夫(現タツオ)、はなわの歌などを通して都市伝説化。映画監督としても「罪と罰」(2012年)など2作を残した。
そんなガッツに近況を聞いた。
「趣味は強いて言えばゴルフくらい。でも、最近、寒いしね。昔から一緒に回っていた仲間も減ってきたし、声かけられても3回に2回は断るね」「暴飲暴食はしなくなった」「仕事を振られたら、好きなものはやり、違うなと思うものはしない。役者の話があっても、ただのおじいさんの役だったらしない。年寄りでも家族を守る役とか、役柄で考える」…。
年輪を感じさせる落ち着いた口調で淡々と語った。往年に比べ、やせてシャープになった顔には、ひげが蓄えられていた。
現在のボクシング界、芸能界について問うと「昔とは違ってるしね。口出しはしない」と即答。また、「袴田事件」(1966年)における元プロボクサー・袴田巌さんの無罪確定が今年の大きなニュースとなったことについても、ガッツは「それは世の流れだから。第三者が口を出すことはないでしょう」と同様のスタンスを貫いた。
その境地について、ガッツは「過去には口出しもしてきたけど、今は、『やる気、その気、元気』がなくなってきた。それが一番いいんじゃない?そういう人生になってるね。若い時はイケイケドンドンで何億と借金して、それを返すために何でもやったけど、借金もなくなってきてるから、無理してガツガツやる必要はない。そう、『ガッツ、ガッツしないで、ゴーイング・マイウェイ』だよな」と言い切った。
取材後、ガッツは旧作邦画を上映する都内の名画座・ラピュタ阿佐ヶ谷で開催されたトークショーに向かった。17年に死去した俳優・渡瀬恒彦さん(享年72)の生誕80年を記念した同館の特集で、ガッツが現役世界王者として俳優デビューを飾った映画「極悪拳法」の上映前に場が設けられたのだ。
世界王座を奪取した74年の公開作。ガッツは〝キックの鬼〟ブームの渦中にあったキックボクサー・沢村忠さんと並んで兄貴分の渡瀬さんをサポートする役で、朴とつなセリフと共に、悪役たちを〝本職〟のパンチで打ちのめしていた。
ガッツは作家・映画監督の山本俊輔氏、ライターの佐藤洋笑氏を聞き手に撮影の裏話や渡瀬さんの思い出を語り、憧れの俳優・高倉健さんと菅原文太さんの名を一字ずつ取って、長男を「健太」と名付けたエピソードなどを披露。芸能界で自身が認められた作品として83年度のNHK連続テレビ小説「おしん」を挙げた。
渡瀬さんはガッツが初監督した映画「カンバック」(90年)に友情出演し、96年の衆院選出馬時には応援に駆けつけた。ガッツはその恩人について、当サイトに「白は白、黒は黒という渡瀬さんは私の性格に似て、ウマがあった。あの人もスポーツ(空手)をやっていたから、ボクシングを尊敬してくれ、俺にも一目置いてくれた」と振り返る。高倉さんについては「いっぱしの人というのは、あんまり、余計なことはしゃべらないよね」と評し、「だから、俺も最近はそうだよ。『OK牧場』とか、今の俺はあまり言わないね」と付け加えた。
デビュー作を半世紀の時を超えて劇場で観賞したガッツ。一夜明け、改めて感想を聞くと、「現役の頃だから良い体してんなぁ。演技的にも恥ずかしくない演技だったんじゃないかな。『OK牧場』じゃないの」と、前日は封印していたキラーフレーズが飛び出した。ガッツ節は健在だった。