玉袋筋太郎が〝昭和100年〟を前に新刊、「良い加減」な無駄話…昭和礼賛の裏にある「我慢」にも目配り

北村 泰介 北村 泰介
「昭和100年」を前に刊行した新刊を手に、昭和への思いを語る芸人・玉袋筋太郎=都内
「昭和100年」を前に刊行した新刊を手に、昭和への思いを語る芸人・玉袋筋太郎=都内

 昭和元年(1926年)から数えて2025年は〝昭和100年〟に当たるということで、その時代を回顧、検証する機運が高まる中、芸人・玉袋筋太郎(57)が新刊「玉袋筋太郎の#昭和あるある」(双葉社)を刊行した。「あの頃に戻りたい」という懐古ではなく、過去を検証しながら今の世の中を俯瞰(ふかん)し、アップデートしていく温故知新の視点に貫かれている。

 ひとくちに「昭和」と言っても長い。期間は1926年12月25日から89年1月7日まで(※昭和元年と同64年は1週間)。戦争があった時代も昭和なら、戦後の混乱期からの高度経済成長期も、団塊世代の若者たちによる〝政治の季節〟も、個人の趣味や娯楽を楽しむ消費社会の台頭からのバブル景気、オタク文化の芽生えも昭和。生まれ育った時期や環境、さらに価値観の違いによって、生きた人の数だけ、それぞれの「昭和」がある。

 玉袋は昭和42年(1967年)生まれで、幼少期から青年期は西暦でいえば1970~80年代、昭和でいうと40~50年代に当たる。

 本書では「電話」「プロ野球」「新商品」「映画」「旅」「スナック」「町中華」「自販機」「プロレス」「ゲームセンター」「財宝」という11編のテーマに分け、著者が実際に体験、あるいは周囲で見聞きしたリアルな記憶を開陳。例えば、家族が共有する固定電話しかなかった頃、〝彼女〟宛てにかけた電話に父親が出ると無言で切ってしまったり…と携帯電話が普及した平成以降では考えられない逸話なども紹介。「スペースインベーダー」「スーパーカー消しゴム」「ルービックキューブ」「シーモンキー」といった懐かしい商品、ビニ本の自販機など絶滅危惧種、大木凡人、あご勇、轟次郎、すわ親治ら昭和の芸能人、アスリート化された現在では遠くなった昭和のブロレスやブロ野球の伝説も描かれる。

 「もしかすると昭和にキラキラを感じるのは錯覚で誰かの我慢で成り立っていたのかもしれねぇな。」という帯文が目を引く。今月22日に都内で行われた囲み取材で、この「我慢」という言葉に込めた思いを問われた玉袋は「そういう〝謎かけ〟も感じてもらいたい。『あ、それだったのかもしれない…』とか、あると思うんで」と答えた。

 昭和末期の60~61年頃、学生だった記者が通った東京・浅草の映画館は客席で紫煙が揺らめいていた。旧作邦画(主に東映の任侠&実録路線)3本立ての名画座。時には隣席の見知らぬ男性に肩を叩かれ、目の前に差し出されたタバコ(銘柄は安価な国産「W」や「E」)を頂戴し、一服つけながらスクリーンの高倉健や菅原文太に見入った。今思えば、その煙を我慢していた人が同じ空間にいたかもしれない。

 これは表面的な例えではあるが、そんな「映画館の客席(あるいは列車や病院等)でタバコを吸っていた」→「昭和は自由で良かった」言説の中で見落とされがちな「我慢」も確かにあり、そこをすくい取る視点が本書にはある。例えば、大ブームになった「なめ猫」の〝ツッパリ〟風の学生服を着せられ、二足で立たされていた子猫たちについて、玉袋は「その製作工程を考えると、手放しで『かわいい』とは言えなくなるんだよ」と撮影の裏側にも目配りする。

 昨今、その功罪が問われている「SNS」。他者の多様な考え方に耳を貸さず、一方通行的に白黒を付けたがる…といった風潮に「生きづらさ」を感じる人も少なくない。そんな世相を踏まえ、玉袋は昭和のキーワードとして「いい加減」を挙げた。いい意味にも悪い意味にも使われる同音異義語だが、鷹揚な「良い加減」にこそ「昭和オヤジの生きる道」を見いだす。

 本書でもこってりと綴られた「町中華とスナック」をはじめ、競輪、チェーン店ではない居酒屋などに「昭和の残り香」を感じ、「どっぷり肩まで浸かっている」という玉袋。「今はレストランでもタブレットで注文とか、それは便利で合理的で素晴らしいと思いますし、否定は一切しません。でも、おかみさんが伝票付けて注文取るような店とかが行きやすいんですよ、私にとっては。自分を形作ってくれた昭和に恩返ししていきたい」。コスパ(効率性)もいいが、ちょいと回り道した「無駄な話」の中にも、お宝はある。

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