社会人として生きていると、時として周りから厳しい指摘を受けることもあるはずだ。その指摘が大切だと分かっていても、厳しすぎる言葉が続けば心が折れてしまうことも珍しくない。
以前Xにポストされた、チータラ冊子さんのエッセイ漫画『一、二か月前の実話』には、専門学校の課題で手がけた漫画が厳しい評価を受ける様子が描かれている。ビジネスの場にも通ずる「指摘」について踏み込んだ同作は、8000件以上の「いいね」を獲得。
話の発端は、チータラ冊子さんが漫画制作の課題がまったく進まないので、アドバイスをもらうために先生に相談したことだった。先生の指摘は「毒舌で本音をすべてぶつけるスタイル」だったが、チータラ冊子さんはそれに屈することなく自身の意見もぶつける。
そして新たな構想が完成し休憩していると、声をかけてきた副担任によって先生が厳しくなった理由を知ることになる…。
『一、二か月前の実話』を読んだ人からは、「大人になって思うけど、指摘されること本当に貴重な時間」「こんな先生に出会いたかった」といった声が寄せられている。作者であるチータラ冊子さんに同作について話を聞いた。
―同作を描いたきっかけを教えてください
先生や副担任の言葉がとても感慨深くて、なぜこの時に自分が泣いたのか理由が分かったので記録に残したいと思って漫画にしました。
―同作で描かれた“指摘をする・指摘を受ける”という行為は大切だと思いますが、人によっては指摘がストレスになって衝突するきっかけになることもあります。指摘を受ける側としてどのように捉えるのがベストだとお考えですか?
受ける側としては、どう感じてもまずはそのまま聞き入れるのがベストだと思います。指摘されたという事実だけ受け止めて聞き流すだけでは、自分の中の意見だけで固まって相手の意見や自分では理解していない部分などを逃してしまいます。
たとえ納得できない部分があっても相手からの意見を組み込むことで、また新たな考えにたどり着けると自分は考えます。
ただ、それだけでは人の意見に流されて自分の考えを見失うこともあるため、自分の中でここだけは譲れないという根幹や要素は、ある程度は持っておくことが必要だと感じます。
―読者に向けてメッセージをお願いいたします!
大人になるほど社会はあなたに対して指摘をしなくなっていく。それは必ずしもあなたが完璧だからとは限りません。今ある指摘は聞き流さず、取り入れることが大事だと思っています。また、この棒人間というジャンルが少しでも認知され、受け入れられたら幸いです。
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