元動物園飼育員で兵庫県西宮市在住の魚井美鈴さん(27)は現在、新進気鋭のイラストレーターとして活躍している。元飼育員ならではの視点で描かれた愛らしくてユニークな作風が人気で、この6月には大阪で初の個展を開催するまでに。しかし、実は22歳で心の病を発症し、双極性障害Ⅱ型と向き合いながら創作活動を続けてきた。立ち直った理由とは。その裏側を聞いた。
動物への温かさとリスペクトが感じられる作品
長い舌を出し、とぼけた感じのキリンさんや動物たちの楽しげなパレード風景。かと思えば、恐竜たちがカラフルに描かれていたり、犬や猫の愛くるしい似顔絵もある。イラストレーターの魚井さんはバラエティーに富んだ自身の作品をながめながら「ここまで動物たちに助けてもらったので、あの子たちの温もりを伝えられたら」と感謝の気持ちを口にした。
チアリーディング日本一から飼育員に
西宮市生まれ。子どものころから動物好きで活発な少女だった。梅花中、高では全国区のチアリーディング部に所属し、日本一に輝いたこともある。
そんな魚井さんが飼育員になるのは不思議な縁があった。高3の春、進路に迷っているとき、母と和歌山の「白浜アドベンチャーワールド」を訪れ、その際に隣接する「アワーズ動物学院」の募集ポスターを発見。「動物に関わる仕事もいいかなと思っていたので、これしかない」と、翌日には資料請求をし、野生動物管理科で2年間学んだ。
キリンの魅力は繊細で穏やかな表情
卒業研究では在学中に魅力を感じていたアミメキリン担当に。「キリンはあんなに体が大きいのに繊細で神経質。そうかと思えば大胆なことをする。目や穏やかな表情が好きになり、どんどんハマっていきました」
キリンの体重測定を試みたのも、そのひとつ。当時、産まれたばかりだったキリンの赤ちゃんを高さ15センチある専用の体重計に乗れるように馴致した。「キリンの体重を測るのは難しいと言われていましたが、トレーニングを始めて半年で乗れるようになり、当時は画期的ということで取材を受けました」と話す。
動物を求めて、みさき公園から千葉へ
20歳で卒業すると大阪府岬町のみさき公園動物園に就職し、まずはふれ合い広場でモルモットやウサギ、ヤギなどの小動物を担当。その後は念願だったキリンの飼育を任せられ、充実した日々を過ごす。しかし、閉園することが決まり、22歳のとき、千葉県の「モフアニマルワールド印西店」へ移ることになった。
ここでは猛禽類を担当し、バードショーではMCデビュー。さらに3カ月後には、何と店長に抜てきされた。おそらく、体育会系で鍛えられた魚井さんの責任感の強さと熱心さが評価されたのだろう。時期尚早と感じつつも期待に応えようとしたが、あっという間に息切れしてしまった。
店長に抜てきされるも心の病で挫折
「慣れない経営のこととかで頭がパンクしてしまいました。1週間寝ていない状態が続き、スイッチが切れて、あれだけ好きだった動物にも興味が湧かなくなっていました。電車内で過呼吸になったり、バックヤードで泣き崩れることもありました」
憧れの仕事に就き、がむしゃらに走り続けてきた矢先の挫折。休職して西宮の実家に戻り、静養しながら病院に通ったが、3年経っても一向に回復しなかった。
「寝られないし、西宮ガーデンズなど外出する度に倒れるので、1人で外出できませんでした。適応障害やパニック障害と診断され、そのころは薬を1日30錠飲んでいましたが、病院からは万策尽きて手詰まり状態と言われていました」
双極性障害と診断され、入院治療
光が差し始めたのは転院した兵庫県立医科大学病院で双極性障害Ⅱ型と診断され、入院治療を開始してからだった。そううつ状態を繰り返しながら減薬にも取り組み、やがて何とか気持ちが落ち着いていく中、大きな転機が訪れた。
「動物のこと、あれだけ好きだったんだから一度描いてみよう。そう思って描いた絵を看護師さんにプレゼントしたら喜んでもらえ、そこからどんどん広がっていきました」
絵は独学。姉に譲ってもらったiPadのタブレット端末と筆を使って動物を中心としたイラストを描くやり方だ。
「飼育員をしていたころのキリンの表情やポーズを思い出し”元気にしているかな?”と想像しながら描いています。だから表情をとらえるのはうまいと思います」
6月には初の個展開催「生きていてよかった」
本格的に絵を描き始めて3年。ユニークな作品やきんちゃく、携帯電話カバーといった小物は、たちまちSNS上などで評判となり、この6月には大阪・福島で初の個展を開催した。
「私の病を知ってくださってる方は、私がここまで元気になったことを泣いて喜んでくれました。大袈裟に聞こえるかも知れませんが、ああ、生きててよかった。あの時、命を諦めなくてよかったと心から思えました。だって、こんなにもみんなに愛してもらっていると気づけたから」
病気になってから過食症と薬の副作用で体重は30キロ増えた。「鏡を見られなかったときもあった」そうだが、昔を知る友だちからは「中身はギョイちゃんのまんま、と言ってもらえ、救われた」という。今後も症状とは向き合っていかなければならない。しかし、魚井さんは最後に晴れやかな表情でこう語った。
「多くの人と出会い、支えられ、そのお陰で病を倒すことができ、いまにいたります。私はまだまだこれからも薬を飲んで通院は必要な生活ですが、もうきっと”大丈夫”と胸を張って言えます。感謝の気持ちを忘れず、一生懸命に突き進んでいきます。そして、いつかまた動物たちに一歩近づける日まで頑張ります」
応援せずにはいられないイラストレーターだ。
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