引退の恩師“台湾の巨匠"ホウ・シャオシェン氏への思い 「オールド・フォックス」シャオ監督に聞く

山本 鋼平 山本 鋼平
取材に応じる「オールド・フォックス 11歳の選択」のシャオ・ヤーチュエン監督
取材に応じる「オールド・フォックス 11歳の選択」のシャオ・ヤーチュエン監督

 「それはきっと、僕個人の経験に根ざすのかもしれません。人生を振り返った時、大事な話をする時は、大体が食卓で行われていたような気がします。例えば息子との話だと、進学などの人生の岐路に立った時は食事をしながらでした。息子が小さい時は、食事といっしょに『学校でこういうことあったんだけど、これって正しいの?』とか『先生が言っていることをどう思うの?』のようなことを聞きましたね。それと、妻とけんかする時も大体食卓なんですよ」

 尊敬するホウ監督とも、食事中の思い出は多い。助監督として師事していたとき、上海での出来事が特に印象深い。

 「ホウ監督に頭にくる知らせが届いて、食事の席でだいぶ荒れていました。それで僕が慰めるつもりで『僕が監督の年齢になったら、そんなに勇気は持てませんよ』と話すと、ホウ監督は『違うだろ』と怒るんです。ホウ監督は『人は年齢のせいで失敗を恐れて勇気がなくなるわけではない。人は一度成功したから、失敗が怖くて勇気がなくなるんだ』と話されていたのをすごく覚えています。一度成功すると、有名にもなるので、なかなか失敗したくない、という気持ちが働くじゃないですか。それによって新しいことができなくなる人がいる、というのはよく分かる説明でした。食事の席としては、非常に消化に悪い状況でしたけれども」

 助監督を務めた当時のホウ監督の年齢を超え、その言葉は自分自身にも投げかけられるようになった。「当時の僕は30代で、その言葉を思い返したのは、もう40歳を過ぎて、CMの制作会社を立ち上げた頃でしょうか。自分のやることが、自分の家庭だけでなくて、他のスタッフや多くの人に影響をおよぼすようになった時ですね」と、しみじみと語った。

 ホウ監督のプロデュースを受けるのは4作目だが、今回はキャストに日本人を入れるというアドバイスを受け(後に門脇麦が配役)、脚本を渡したところでコロナ禍とホウ監督の体調問題のため、以降は直接言葉を授かる機会がなかった。プロデューサーとしてのホウ氏については「あまり干渉しない人でした。少なくとも僕に関しては、そうでしたね。以前は脚本を見てもらったとき、編集が終わったときに意見をもらいましたが、今回はなかったですね」と振り返った。

 偉大なキャリアを持つホウ監督の引退には、意外な答えが返ってきた。

 「僕は引退の知らせを聞いたとき、最初は少し心配しましたが、そうではなく、祝福すべきだろうと思い直しました。ホウ監督は自分のやりたいことは多分やり終えていると思うし、これからは家族と過ごされるといいます。家族にとっての大事な時間ができると思うので、祝福したいと思います。ホウ監督は日々起こったことを全て受け入れて生きる方でした。老いや死に対してもあらがわず、受け入れる方だと思います」

 ホウ監督、「牯嶺街少年殺人事件」「台北ストーリー」などで知られるエドワード・ヤン監督(2007年死去)らが築いた台湾ニューシネマ。「その系譜を受け継ぐ次世代の幕開け」という今作のキャッチコピーは、非常に的を射たものだと感じさせた。映画「オールド・フォックス 11歳の選択」の紅海を前に、シャオ監督は「この映画は『選択』に関する作品です。日本の皆さんが気に入ってくれたらうれしいです」と笑みを浮かべ、穏やかに呼びかけた。

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