〝バカ〟に徹した林家木久扇「すぅーっと消えるのが理想」多才な86歳が「笑点」卒業 新刊に遺した思い

北村 泰介 北村 泰介
「笑点」(3月31日放送回)最後の収録に臨んだ林家木久扇。黄色い着物姿で〝バカ〟に徹した=東京・後楽園ホール
「笑点」(3月31日放送回)最後の収録に臨んだ林家木久扇。黄色い着物姿で〝バカ〟に徹した=東京・後楽園ホール

 落語家の林家木久扇(86)が歴代最長の55年間に渡ってレギュラーを務めた日本テレビ系演芸番組「笑点」を3月末で〝卒業〟する。その区切りとなるタイミングで、木久扇は自身の人生哲学である「バカ」をテーマにした著書を世に出した。題して「バカの遺言」(扶桑社新書)。その内容の一部を紹介しつつ、本書の構成を担当したコラムニストの石原壮一郎氏に話を聞いた。

 「バカ」とは、古典落語に登場するキャラクター「与太郎」がベースになっている。社会常識から外れた言動をして笑いの対象になるのだが、時に本質を突いた発言で〝大人〟(常識人)をドキリとさせる。知ったかぶりや世間体、忖度とは無縁。そして、愛きょうがあって憎めない。

 木久扇は、国民的娯楽番組の大喜利コーナーで「黄色い着物の人」として与太郎キャラに徹した。だからといって、バカにしていると、とんでもないことになる。実は〝すごい〟人なのだ。

 八代目林家正蔵(林家彦六)、三代目桂三木助という昭和落語の名伯楽を師に持ち、「かっぱ天国」で知られる漫画家・清水崑の弟子として絵の才能も発揮。そうした〝歴史上の人物〟から薫陶を受けた。さらに、俳号「とよ田三茶」で知られる俳人であり、「木久蔵ラーメン」を商品化した実業家にして、時代劇映画の研究家としての著書もあり、歌手として10万枚以上のヒットとなった「いやんばか~ん」(78年)ではルイ・アームストロングらの演奏で知られる名曲「セントルイス・ブルース」に自身が作詞。華麗な経歴と多才ぶりが下地にあった上での〝バカ〟だ。

 石原氏は「師匠の言う『バカ』は、突き詰めると『自分を貫く』ということではないか。世間の風潮に左右されたりせず、やりたいこと、面白いと思うことに、半端な計算なんてしないで取り組む。そうすることで自分も楽しいし、周りに人が集まってくる。『バカは素晴らしい』『バカは偉大だ』というメッセージには、せっかくの人生を大いに楽しもう、胸を張って自分らしく生きようというエールが込められているように感じます」と自身の解釈を披露した。

 『バカの遺言』では〝偉大なバカ〟こと盟友・横山やすしの破天荒な言動をはじめ、「笑点」から四代目三遊亭小円遊、林家こん平、六代目三遊亭円楽、歴代司会者の七代目立川談志、前田武彦、三波伸介、5代目三遊亭圓楽、桂歌丸といった鬼籍に入った先輩や仲間の在りし日の姿を回顧。現メンバーでは司会の春風亭昇太(不思議バカ)から新メンバーの春風亭一之輔(毒吐きバカ)や桂宮治(期待の大型バカ)に至るまで、その人物像を軽快に描く。

 また、全国ラーメン党の会長として北京出店を計画し、日中国交正常化を実現した田中角栄元首相に直談判して〝橋渡し役〟を依頼するという豪快な逸話にも驚かされる。

 2年前に出版された『バカのすすめ』(ダイヤモンド社)に加筆して新書化。石原氏は「『笑点』の大喜利レギュラーメンバー卒業のタイミングで、改めて師匠の魅力が多くの人に広まってほしい」と願う。本書の後半では「自分はバカじゃないと思っているバカ」「過去の武勇伝を何度も繰り返し話すバカ」「インターネットの中でだけやたら威勢がいいバカ」と風刺を効かせながら〝バカ〟の例を挙げ、最後に「我ながらバカの天才」とオチを付けた。

 石原氏は「すごいなと感じるのが、常に『もっと面白いこと』を求めていること。自分のやりたいことや考えを『広く伝える』ことを大切にしていて、そのためにどんな方法が効果的かをとことん追求しているのも素晴らしい。ベースには自分が一歩下がって『人様』の気持ちを尊重する謙虚さがあるように感じる。それもまた、『バカ』の力の成せる業かもしれない」と指摘した。

 木久扇は「今後やってみたいこと」について、本書の「あとがき」で「落語のアニメを作ること」と記す。国内外の子どもたちに落語の面白さを伝えるためだ。「毎日ワクワク過ごして『すぅーっと』と消えるのが理想」とも。五代目柳家小さんが大好物のちらし寿司で満腹になって就寝したまま亡くなった例を挙げながら「あっさりした人生の終わり方」を掲げた。

 石原氏は「落語界全体を考えて、次の時代につなげたいという気持ちも強く持っている。ご自身も、正蔵師匠や談志さんはじめ、先達からたくさんのものを受け取ったという気持ちがあるからではないか。人間にとっては自分の中の『バカ』とどう上手に付き合うかが大事。その見本を見せてくれている師匠は、まさに『生き方の天才』ではないかと感じます」と総括した。

 コロナ禍での記者の取材時、木久扇は次のように語った。「『不要不急』という言葉にはびっくりしましたね。落語や芝居などは、どんなことも柔らかく受け入れる『スプリング』であり、文章でいうと『句読点』。生きるのに必要なものです」。バカの肩身が狭くなるような、四角四面の世の中にはなってほしくない。その思いは今も変わらない。『笑点』を卒業しても、「バカ」に卒業はないのだ。

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