NHK大河ドラマ「光る君へ」第6回目は「二人の才女」。紫式部の「ライバル」ともよく称される清少納言(以下、納言と記載することあり)がいよいよ登場してきました。清少納言は、言わずと知れた随筆『枕草子』の著者。その父は、清原元輔(908〜990)という官吏・歌人でした。
納言の母が誰かということについては、詳しいことは不明です。納言がいつ産まれたのかについても、詳細は不明ですが、康保3年(966)頃に産まれたのではないかと推測されています(諸説あり)。
清少納言のライバルと称されることもある紫式部の生年も諸説ありますが、仮に候補の1つである天元元年(978)とすると、12歳の年の差、清少納言の方が年上ということになります。「光る君へ」では、まひろ(紫式部)と、ききょう(清少納言)は対面していましたが、史実においては会ったことはないだろうと考えられています。納言は、一条天皇の中宮・定子(藤原道隆の長女)に993年頃から仕えて、長保3年(1001)には宮中を去ります。
一方、紫式部は、一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)に諸説ありますが、寛弘2年(1005)頃から仕えたとされます。4年ほど出仕時期がずれているのです。ちなみに、紫式部が書いた日記(『紫式部日記』)の中には、清少納言の評価が出てきます。日記の中で、式部は納言のことを「実に得意げにして、偉そうにしている人」「賢気に振る舞って漢字をかち散らしている様も、よく見るととても未熟なところがある」「自分は他人と違うと思い込んでいる人」と酷評しているのです。
「ものの哀れを知り顔に振る舞い、趣のあることも見過ごさずに捉えようとするから、そのようなことをしているうちに、移り気な様となるのでしょう」との言葉もあり、これは納言の著書『枕草子』への痛烈な批判と言えるでしょう。
同書には「烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり」(鳥がねぐらへ行こうとして、三羽四羽、二羽三羽と飛び急いでいるのも風情がある)、「かりなどのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし」(雁などが列を作っていて、それがとても小さく見えるのは、とてもおもしろい)などのように「あはれ」(風情がある)、「いとをかし」(実に面白い)のような表現が出てきますが、何でもかんでも「あはれ」「をかし」と言うなと式部は非難したのでした。
式部と納言はライバルと言われますが、式部に言わせたら、あんな無知で軽薄な女、というところであり、歯牙にもかけていないようにも思われます。ちなみに、納言が式部のことをどう思っていたかは分かりません。