「七人の侍」「切腹」「侍」「砂の器」「八甲田山」など、日本映画史に残る傑作を生んだ橋本忍の評伝「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」(文藝春秋)の刊行を記念し、著者で時代劇・映画史研究家の春日太一(46)と芸人・玉袋筋太郎(56)によるトークショーが都内で開催された。10歳違いの「飲み友だち」である両者は、橋本のデビュー作にしてベネチア国際映画祭で金獅子賞を獲得した「羅生門」(1950年公開、黒澤明監督)における〝異なる証言〟に着目。プロレス界の伝説「熊本・旅館破壊事件」にまで話が発展した。(文中敬称略)
「12年を要した」(春日)という480ページの力作が11月下旬の発売以来、話題になっている。玉袋は「普通だったら12年もかかったら断筆しますよ。雪の八甲田山だよ、この一冊は。読み終わったら朝になってて、涙出てきたもん。橋本大先生もそうだけど、春日先生も『鬼の筆』を書いた鬼の筆って言いたいよ」と盟友の労をねぎらい、「橋本忍の生い立ちからしてすごいね」と言及した。
春日は「どこまでが本当なのか、僕ですら分からないところがある。ほんとに『羅生門』みたいで、本当だと思っていた話が本当ではなかったり、嘘だと思った話が本当だったりする」と振り返った。
さらに、春日は「しらっと、本人が(証言を)ひっくり返している。(橋本氏が黒澤監督との関係をつづった2006年の文藝春秋刊)『複眼の映像』を先に読んでから、『鬼の筆』を読むと、ひっくり返りますよ。本の帯に『全身脚本家』とある通り、自分自身すら脚本化してしまう人だった」と解説。玉袋が「最後までつかめなかったというか、狸だったのか…」と呼応すると、春日は「狸なのか、狐なのか、妖怪なのか、何が何だか?ですが、それが人間だといえば人間なのかもしれない。語り口が面白いので(聞き手は)そうだと思ってしまうんですよ」と付け加えた。
具体例として、春日は「橋本さんが競輪でお金をすってしまったがために、東宝にお願いして大作を書かせてもらった脚本があるんですけど、この本で言ってるのと、別のインタビューや、また別の関係者に言ってるのとでは、対象の作品名が違うんですよ。僕は遺族や関係者に確認して、この本に書きましたが、別のインタビュアーはたまったもんじゃないですよ」と語ると、玉袋は「新日本プロレスの『熊本・旅館破壊事件』みたいなもんだな」と指摘した。
1987年1月23日、水俣市の「湯の児温泉」。新日本プロレスの巡業中、アントニオ猪木を筆頭とする新日本勢と前田日明率いるUWF勢が旅館で宴会を開催したが、泥酔したレスラーらによる大乱闘となり、旅館の柱や壁などを破壊して大損害を与えた…と伝えられている。当時24歳の武藤敬司が、28歳の誕生日前夜だった前田に対して「あんたらのプロレス、面白くねぇんだよ」と言い放ち、怒った前田が武藤を殴ったことに端を発して、坂口征二や高田延彦(当時・伸彦)らも絡んで修羅場となった…という定説になっているが、証言者によって内容は異なる。日本がバブル景気に沸いていた昭和末期の伝説だ。
玉袋は「UWF系と新日本系の意見が違うんだから」と解説し、春日は「そこにいなかったはずの(当時の実況アナ)古舘伊知郎がいたかのような話になっていたり…。逆に、一番嘘っぽかった『旅館の階段を吐しゃ物が降りていった』という話が本当だったというのには驚きました」と補足した。玉袋が「そこ(※現在も残る旅館の建物)に行ってる春日先生も偉い!」と明かすと、春日は「はい。こないだも行きました。春と秋。年に2回行くところじゃないですけどね」と告白。玉袋が「なんの〝聖地巡礼〟してんだよ!」とツッコみ、会場は爆笑となった。
「羅生門」では、殺人の裁きで、盗賊(三船敏郎)、侍の妻(京マチ子)、殺害された侍の霊(森雅之)、目撃者(志村喬)の視点で複数の物語が併走。何が真実で何が嘘なのかは〝やぶの中〟だ。その点では「旅館事件」も同様だった。春日は「真実は1つ…とは、(橋本の場合)やりようがないので、『羅生門』(スタイル)で行こうと。全部並べて、みんなで判断してくださいと。この本は『羅生門』の〝メタ〟です。燃え尽きました」と締めくくった。
〝プロレス者〟として今回のトークを盛り上げた玉袋は、猪木のロングインタビューなどを収録した共著「玉袋筋太郎の闘魂伝承座談会」(白夜書房)を今月15日に刊行し、23日夜にはイベント「スナック玉ちゃん 2023紅白歌合戦」を東京カルチャーカルチャー(渋谷)で開催。春日は大阪・九条のシネ・ヌーヴォで開催される「橋本忍映画祭2024」(1月2日-2月9日)で、1月6日「切腹」、7日「幻の湖」、8日「八甲田山」の上映後に3日連続でトークショーを行う。年末年始も2人の動きから目が離せない。