NHK大河ドラマ「どうする家康」第48話(最終回)は「家康の死」。波瀾万丈の生涯を送ってきた徳川家康(演・松本潤)の死が描かれました。慶長20年(1615)5月、大坂夏の陣により、豊臣秀頼はついに滅亡します。家康は大坂方の残党狩りを厳命。秀頼には側室との間に2人の子がありましたが、国松(8歳)は捕縛され、六条河原で斬首となりました。国松が男子であったからです。「乱世の習い」とは言え、哀れなことです。一方、秀頼の女子(天秀尼。7歳)は許され、鎌倉の東慶寺に入ることになります。豊臣家の滅亡により、日本列島に平和が訪れました。
3代将軍・徳川家光の時に、島原の乱(1637〜1638)という内乱は起きますが、幕末まで平和な社会が数百年続くのです。元和2年(1616)正月下旬、駿河国の田中(静岡県藤枝市)で鷹狩をしていた家康は突如、発病します。駿府に戻った家康は同年3月には「(自分は)この病で果てると思う」と気弱なことを息子の秀忠に言うようになります。
3月下旬になると、家康は食事が摂れなくなります。諸大名が家康を見舞った際、家康は「将軍(秀忠)の政治がよくない時は、各々が代わりに天下を治めよ。天下は一人の天下にあらず。天下は天下の天下なれば、我はこれを怨まず」と語ったとされます(徳川幕府が編纂した徳川家の歴史書『徳川実紀』)。
4月2日、家康は「死後、遺体は駿河の久能山に葬れ。葬礼は江戸の増上寺で行え。位牌は三河の大樹寺に立てて欲しい。一周忌が過ぎたら、下野国日光に小堂を建てよ。関東八州の鎮守とならん」との遺言を残します。そして、4月17日、家康はついに死去します。75歳でした。家康は朝廷から「東照大権現」との神号を得て、神として祀られることになります。三河一向一揆、三方ヶ原の戦い、本能寺の変後の伊賀越えなど数々の危難を乗り越えて、天下人となった家康。
『三河物語』(江戸時代初期の旗本・大久保彦左衛門の著作)は、徳川家が繁栄した理由を「代々の当主が慈悲があったこと」「武勇に優れていたこと」「良き譜代(家臣)を持っていたこと」「お情けを持っていたこと」と記しています。家康の大名としての器にも優れたものがあったと言えますが、一人で天下を統一することはできません。良き家臣に恵まれたことが、家康が天下人となれた大きな理由ではないでしょうか。
「どうする家康」最終回においては、徳川家康の側近として活躍した僧侶・天海が登場しました。天海役は、昨年の大河「鎌倉殿の13人」で主演(北条義時役)だった小栗旬さん。「鎌倉殿の13人」の最終回には、徳川家康役として、松本潤さんがサプライズ登場していました。ちなみに、天海=明智光秀同一人物説というものもあるが、光秀が天正10年(1582)6月に死んでいることに疑いはないでしょう。戦国時代の神道家・吉田兼見の日記『兼見卿記』にも同年、光秀が死んだ事が書かれているからです。同一人物説は荒唐無稽なものでしょう。