アニソンシンガーMIQ 40周年も燃え続ける情熱、両親見送り再び上京「もう一度勝負したくなった」

山本 鋼平 山本 鋼平
MIQ
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 「聖戦士ダンバイン」「重戦機エルガイム」「機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY」など多くの名作アニメの楽曲で知られる歌手のMIQ(ミク)はデビュー40周年を迎え、今も力強い歌声を響かせている。コロナ禍で開催が延びていた40周年記念コンサートは東京、大阪での開催が来春(1月7日、東京・きゅりあん小ホール/3月9日、大阪・アメリカ村BEYOND)に決まった。1982年に「戦闘メカザブングル」の挿入歌「HEY YOU/わすれ草」でデビュー。アニソン歌手として活躍する中、母の死を機に2001年、故郷の鳥取に拠点を移した。MIQが当時、そして再び東京を拠点とする現在の心境を語った。

  2001年9月、母が79歳で世を去ったことに伴い、東京から故郷の鳥取に拠点を移した。MIQ(当時はMIO=ミオ)は地元の名門・鳥取西高校出身で、人気歌手だったこともあり、帰省後は早速ローカルニュースでも取り上げられた。お菓子問屋を営んでいた父だが、85歳になり運転が危なっかしくなっており、免許を返納させた。そして自身が教習所に通い始めた。

 「田舎だからなのか、教官に私が歌手なのが知れ渡っていて、公道教習の時に『どんなジャンルを歌っていたんですか』って。初めての公道教習でガチガチに緊張して必死だったので『勘弁してぇ~』と思いましたね。父も私と暮らし始めてから、みるみる元気になっていきました」

 鳥取に帰ることを決めてから心機一転、MIOの芸名を変えることにした。紹介された有名な姓名判断鑑定士から「三玖(みく)」と提案された。

 「さすがにMIOから漢字の三玖は変わりすぎだと…。少し硬いなあ、と悩んでいたらひらめいて、MIOの『O』に1本棒を加えたら『Q』になる。『MIQ』にしようと思いました。鑑定士に相談したら『最初からそうしてもいいようにつけましたから』と答えられ、『ほう~』と笑いそうになりました」

 新しい芸名になったMIQはほどなく、ボーカル教室を鳥取の数カ所で開くようになった。高校時代にはロックやポップスの歌唱教室を父と探したが見つからなかった。2001年でも鳥取周辺には見当たらなかったという。地元のタレント事務所からレッスンの依頼を受け、一般の生徒も多く集まった。

 「公民館や自宅や楽器ショップを使っていました。先生と呼ばれて、コミュニティができたのがうれしかった」

 2002年に鳥取で開催された国民文化祭では砂丘ステージをプロデュースし、2歳から68歳まで60人が参加する公演を成功させた。故郷に錦を飾った。自分を慕う生徒もいる。故郷に居場所を見つけることができたと思った。

 2004年に父を88歳で見送った。その時にはアニソンイベントなどの仕事の際にだけ上京し、生徒が待つ鳥取に戻るスタイルが確立されていた。「このまま鳥取に居続けると思っていました」と当時を振り返った。

 それでも2007年、再び東京に拠点を移した。前年に出演した東京・吉祥寺でのアニソンライブが転機だった。声優の神谷明らも出演したステージは屋外だった。トリを飾ったMIQは、見せられたステージ写真に心が動かされた。

 「夕日が差すステージでした。真っ赤に燃え上がるような背景で、私は歌っていました。あの写真を見た時に『東京に戻ろう』と決めました。楽しくて気が楽な鳥取の暮らしでしたが、もう一度東京で勝負したくなったんです」

 ボーカル教室の生徒には定期的に戻ることを約束した。鳥取県ふるさと大使、鳥取市観光大使に就くなど、故郷との関わりは今も続くが、拠点は東京だ。アニソン公演に加え、ジャズなど多彩な音楽に挑戦するようになった。熱心なファンによって東京・大阪で、春と秋に2回ずつ開催されるプライベートライブは2008年から続く。ボイストレーナーの仕事を東京でも再開させ、2011年3月にはダラス、2014年9月にはアトランタで開催された米国アニメイベントに生徒とともに参加したことは、とても誇らしげな思い出だ。2016年からは洗足学園音楽大学でアニソン歌唱の指導を行う。YouTubeでの公式チャンネルでは持ち歌だけでなく、さまざまな有名アニソンの歌唱レッスンなどを配信している。

 来年1月に東京、3月に大阪で行われる40周年記念コンサート。「本当にあっという間」と語るMIQは、新たな夢を掲げる。「世界中の大人はもちろん、子どもたちにも喜んでもらえるような、歌声を届けたい」。全力で走り続けてきたアニソンシンガーの道。ゴールまでの道のりはまだまだ遠いと考える。それもまた、歌い続ける糧だと前向きに捉えている。

連載第1回はコチラ

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