2020年に認知症と診断された漫画家でタレントの蛭子能収(75)が、「最後の展覧会」を9月に都内で開催する。数々の傑作を生み出した伝説の月刊漫画誌「ガロ」時代からの盟友である〝特殊漫画家〟根本敬(65)が蛭子の作品製作をサポートし、同展を監修する。新作に取り組む蛭子の近況や作風などを根本に聞いた。(文中敬称略)
作品展は「根本敬 presents 蛭子能収『最後の展覧会』」と題し、9月7日から30日まで、東京・南青山のアートギャラリー「Akio Nagasawa Gallery Aoyama」で開催(開廊時間・水-土 11時-13時、14時-19時、休廊日・日-火、祝日)。全点、蛭子描き下ろしの新作となる。
同展の告知文で、根本は蛭子について「世間⼀般の認識としては『テレビタレントだったおかしな⼈』ですが、私にとっては前衛的な漫画やイラストを描く『ガロ』の実に偉⼤な先輩です」と原点をつづった上で、14年に「認知症の初期段階」とテレビ番組の企画で診断された当時を振り返った。
「その頃から物忘れは著しく、画⼒も微妙な感じになってきてはいました。従来の⼿抜きとは違い、線が思わぬ⽅向へ変化しているのです。その頃、(蛭子は)⾃⾝の描いたイラストを指して『⼩学⽣みたいな絵やね』と⾃嘲する様に⾔いました」(根本)。一方、蛭⼦と根本が共に師と仰ぐイラストレーター・湯村輝彦が「⼩学⽣みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない絵」と前向きに評したことも付け加えた。
それから6年後、蛭⼦は「レビー⼩体型認知症とアルツハイマー型認知症の合併症」である旨を公表。根本は「その際に(蛭子が)放った『(これからは)認知症のオレを笑って下さい』という⾔葉に偽りはなく、『オレは今まで通りバリバリ仕事をするからこれからも宜しく頼みます』という意思表明だったと思います。しかし、現実はそうは⾏かず、認知症を公表したタレントの仕事はみるみる減り、漫画家としての仕事も激減し、今や限りなくゼロに等しいのです。このまま蛭⼦さんをフェイドアウトさせてはならない、絵を描くことからスタートした蛭⼦さんを最後は『絵=芸術家』として飾ってもらえたらと考える⼈たちが少なからずいて、この度の展覧会は企画されました。約1年と少し前の話です」と経緯を説明した。
準備を経て、今春から蛭子は絵を描き出したという。
「この展覧会へ向けてキャンバスに向かう頃には症状は進み、かつて⾃らの⼝から出た『⼩学⽣みたいな絵』は『幼児みたいな絵』になっていました。しかし、件(くだん)の湯村さんの⾔葉にならえば『幼児みたいに⾒えても絶対におじさんにしか描けない』、より具体的に⾔えば、『幼児みたいな絵に⾒えても、75歳、認知症の蛭⼦能収にしか描けない絵』なのです。どの絵も『⽣きる』ということが本質的に内包する儚(はかな)さを突きつけてくるのですが、それでいて幸せな気持ちにもなってしまうのは企画した私たちだけでしょうか」(根本)
蛭子の時間や体力に合わせて作品製作に立ち会う根本は、よろず~ニュースの取材に対して、「本人に『最後の展覧会』という意識はなく、仕方ないから描いている。〝仕方なく〟といっても、やる気がないという意味ではない。自分から進んで闇雲に描いているというわけでもないですが、仕事として、ただ(黙々と)描いている」と指摘した。
「仕方なく、でも、やるからには前向きに」という姿勢は、「来た仕事は断れない」という蛭子の一貫したスタンスだ。15年にデイリースポーツ紙面で連載したコラム「エビス流」で、蛭子は企画を依頼した記者に次のように語っていた。
「テレビには一応〝文化人〟として出ているつもりなんですけど、熱湯風呂に入ったり…。俺にはプライドがあまりにもなさ過ぎるのかなと思いますよ。それでも面白いものを作ろうと思っておられるなら、動かされるコマの1つとして、やらなければと思います。自己主張はしません。基本的に頼まれた仕事は断らないようにしているので」
それから8年を経た今も、〝エビス流〟は不変だった。根本は当サイトに証言した。
「今回の蛭子さんは『でも、やるんだよ』ではなく、流れの中で『じゃあ、やりますよ』という感じです。周囲は、蛭子さんの作品をここで残しておかないと…という思いになっていますが、本人にそんな意識はなく、作風については、もう、人物の顔を描けなくなっているので、期せずして『前衛アート』になっています。そして、絵のタイトルだけはすごいものが本人から出てくる。そこは(作品完成後に素早くタイトルを付けて)早く帰りたいからね。とにかく、展覧会を楽しみにしていてください」
蛭子は10月で76歳になる。その前に、ありのままの姿で自身の今を描いた新作がベールを脱ぐ。