米個性派バンドの元ドラマーが死去、57歳 死因明かされず、ヘロイン所有で逮捕歴

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写真はイメージ(9dreamstudio/stock.adobe.com)
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 アージー・オーバーキルのドラマーを務めたジョニー・“ブラッキー・オナシス”・ローワンさんが死去した。57歳だった。

 1990年代に活動したシカゴ出身のオルタナティブロックバンドでドラムを叩いていたジョニーが13日、帰らぬ人となったことを担当広報がロサンゼルス・タイムズに発表した。死因は明らかにされていない。

 同バンドはSNSに声明を発表している。「アージ・オーバーキルはブラッキーが亡くなったことを悲しみと共にお知らせします。プライバシーの配慮をよろしくお願いします。彼の家族、そして全てのファンに愛を送ります。彼の不在が惜しまれることでしょう」

 その後、バンドは俳優でコミック・ロックバンド、テネイシャスDとしての活動でも知られるジャック・ブラックとジョニーのツーショット写真を掲載。「本日の愛とサポートをありがとうございます。ブラッキーのこの写真をシェアしたいと思いました。私たちと同じく皆さんも気に入って頂けたらと思います」と綴っていた。

 この投稿に、ジャックは追悼の言葉を寄せている。「ブラッキーが大好きだった。『ザ・スーパーソニック・ストーリーブック』『サチュレイション』『イグジット・ザ・ドラゴン』、時代を超えた大好きなアルバムだ!彼はワイルドカードで立役者だった。寂しくなるね」

 ジョニーは、1991年の3rdアルバム『ザ・スーパーソニック・ストーリーブック』からドラマーとして加入。その年、バンドは伝説のグランジバンド、ニルバーナの「ネヴァーマインド・ツアー」のサポートアクトを務めていた。翌年にゲフィン・レコードと契約。1993年のアルバム『サチュレイション』でメジャーレーベルからデビューを果たした。

 商業的なヒット曲としては『シスター・ハバナ』『ポジティブ・ブリーディング』が知られる。他にも1994年のクエンティン・タランティーノの映画『パルプ・フィクション』では、ニール・ダイアモンドのカバー曲『悲しきプロフィール』が採用されている。

 ジョニーは1994年『イグジット・ザ・ドラゴン』のリリース後、ヘロイン所有で逮捕され、その2年後に同バンドを脱退。2004年にバンドは再結成を果たしたがジョニーの姿はなかった。

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