トランスジェンダーと明言したわけではないが、男性が恋愛対象であると告白したryucell。彼がpecoとの婚姻関係を解消しながらも、"新しい形の家族"と称して同居のまま子育てする様子が話題になっている。
このニュースを見た時に筆者は思った。「似た家族を知ってるぞ?」と。
それは兵庫県尼崎市の吉田真樹さん(72)一家。吉田さんはトランスジェンダー女性で、NHK「バリバラ」内のコーナー「バギーの部屋」にも出演した知る人ぞ知る尼崎の有名人。
「娘が2人と孫が3人! ひ孫も近く生まれるんよ」
そう話す彼女は、妻と婚姻を継続しながら、パートナー男性の道男さん(62)と養子縁組した上で家族として同居している。妻とパートナーがいて、娘や孫とも関係は良好。これはまさにryucellが目指す新しい形の家族そのものではないだろうか。
明るく取材に応じてくれた真樹さんだが、彼女が若い頃はLGBTという言葉すらなく、自分らしく生きることが非常に困難だった時代。幼少期に「おとこおんな」と言われ石を投げられたこともあるそうだ。性別への違和感はあったが、男性として生き続ける他なかった。
しかし譲れなかったこともある。中学校を卒業した当時、尼崎市内の高校は大半が丸刈り校則をもうけていた。真樹さんは髪を切りたくない一心で、唯一髪型が自由だった工業高校へ進学を決めたのだ。
「男性らしさから逃げてた感じ、大手電気会社に入社したけど室内で働くことに憧れて美容師を目指すことにしました」
その後、美容師として独立した真樹さんは20歳で知人を通じて知り合った女性と結婚。奥さんには生まれつきの障がいがあったが「この人を生涯守らないといけない!」と強く思ったそうだ。
「今思うと、母性本能をくすぐられていたのかもしれません。ただ、当時は性の違和感などよく分からないまま結婚しました」
女性を恋愛感情を持つことはできないものの、手をつくした末に子供を二人授かり、夫として父親として髭を生やして仕事を続けた真樹さんに26歳の時、転機が訪れる。美容室の客と訪れたニューハーフのショーパブに魅せられ、夜間はそこで女装して働くことを決断したのだ。
最初は「仕事のため」と家族に言い訳していたが、徐々に女性的なファッションで過ごすことが増えていった真樹さん。次女とのショッピングや参観日にもその格好で出向いた。先生たちには「真樹ちゃんさん」と呼ばれ、「今日はお父さんどんな格好で来るのかな?」と人気があったとのこと。
当初、奥さんは真樹さんの変化に反対していた。長女も結婚して家を出た後だったので理解に時間がかかったが、一方で次女は寛容だったという。
「10歳までは厳しく躾けて、それ以降は同じ人間として対等に接するのが我が家の子育て。参観日でも、先生に勉強のことは聞かずに友達が増えたか減ったかだけしか聞かなかった。そのおかげか特に次女は友達が多く、父親が男か女かというのは些細な問題だったのかもしれませんね」
30代頃から性同一性障害という言葉が一般的になり、女性として生きてゆくことを決めた真樹さんは、経営していた美容室をいったん廃業した上で新たな美容室を開業。
「今あるお店で突然女性の格好になったら、驚かせてしまうかもしれない。でも、新しいお店なら『嫌なら来なくていい!』って言えるでしょう?(笑)」
40歳頃からはニューハーフショーパブ『たまのかま手箱』も開店(現在閉業)。同時に家族の在り方やパートナーとの同居、養子縁組について、奥さんや娘たちと根気強く話し合った。
「家族にはとても感謝しています。家族が本当に反対していたらここまで自分らしく生きることはできなかった。今ではパートナーと奥さんと3人で家族旅行に行くこともあります」
筆者は以前、奥さんと話したことがある。「温泉に一緒に入った時、真樹ちゃんの方が胸大きくて腹が立ったの」と笑いながら話してくれた顔に憎しみは微塵もなかった。真樹さんを家族として愛する人の笑顔だった。
「無責任」「残酷」……SNS上はryuchellへの批判で溢れている。たしかにryuchellの変化にpecoはショックを受けたと思うが、真樹さんのような例もある。ryuchell一家がどのように将来に向かうか、我々は見守る他ないのではないだろうか。
最後に、真樹さんが若い世代に伝えたいことがあるという。
「今は昔と違ってLGBTという言葉もある。だから隠す必要はなくて、好きなように生きてもいいと思う。ただ、周りの人に理解してもらう必要はあるし、理解されなくても社会のせいではない。人それぞれの特性はあると思うけど、努力して自分らしさを掴み取ってほしい」