ザ・ドリフターズの高木ブーが「象徴」という愛称で在籍するバンド「1933ウクレレオールスターズ」が8月に初のホールワンマンライブ「盆ボヤージュ!YOKOHAMA」を横浜・新都市ホールで開催した。89歳の高木はサザンオールスターズのベーシストで同バンドの「キャプテン」である関口和之とのやりとりの中で「長生きの秘けつ」などを語り、今なお健在な美声を披露して現役感を発揮。娘との父子愛を描いた新曲「パパの手」を歌い、完成したミュージックビデオ(MV)も会場で公開された。
同バンドは高木、関口、ウクレレ王子・野村義男、歌姫・荻野目洋子、口笛女王・分山貴美子、カホン家元・はたけやま裕、バンマス・YANAGIMANというウクレレ好きのメンバー7人で構成され、今年、本格始動した。バンド名は高木の生年である1933年に由来。8月16日に開催されたライブでは、同10日にリリースされた関口の10年ぶりソロアルバム「FREE-UKES(フリーユークス)」での同バンド名義の収録曲やカバー曲など計15曲が演奏された。
高木はライブ中盤、2人のフラダンサーに手を引かれてアロハシャツ姿でステージに登場。ウクレレを弾きながら、ハワイアンソングの定番「ON THE BEACH AT WIKIKI」、「小さな竹の橋」、「珊瑚礁の彼方に」、「ブルー・ハワイ」をメドレー形式で歌い上げた。「ウクレレに出会って74年」という高木はMCの中で「昭和ハワイアンソング」への思いも明かした。
「日本のハワイアンソングにはいい歌があるんですよ。大正時代からありますんでね。(ホノルル生まれで、戦前から戦後にかけて活躍した歌手)灰田勝彦さん、(スチールギター奏者)バッキー白片さんらが日本でハワイアンをこしらえた。僕より(年代が)上の人たちがいい曲を残してくれた。ソフトで耳ざわりがいいんです。ドリフターズはロックバンドとして、ビートルズと(66年の日本武道館公演を)やったりとかありましたけど、僕も高齢者ですからね。そういう人が聞くのは、ハワイアンがいいんじゃないでしょうか」
ライブが佳境に入ると、関口の作詞・作曲で、高木と一人娘・かおるさんとの父子愛を描いた曲「パパの手」が披露された。同曲は「FREE-UKES」に収録。ライブではウクレレと口笛の音色が印象的なアレンジで、高木が心を込めて歌い上げた。アンコールのラストでは「いい湯だな」が、高木の「ビバノンノン」の掛け声と共に演奏され、大団円となった。
終演後、会場には「パパの手」のMVが大スクリーンで流され、高木と幼い頃のかおるさんが海やプールでひと夏を過ごした昭和の風景などがモノクロとカラーの写真、8ミリ映像で大画面に写し出された。
かおるさんは、よろずニュースの取材に対して「サザンの関口さんから『パパの手』のミュージックビデオは高木家の写真で作りたいというお話がありまして、古いアルバムや自宅倉庫に保管してある8ミリビデオの段ボールを発掘しました。8ミリを見る機械もないので、もうこの映像は見ることもできないだろうと思っていたのですが、レコード会社の方がその映像を見られるようにして下さり、私の幼き頃の映像や、ドリフターズの夏合宿や亡くなった母の映像や本当に色々、玉手箱のように出て来ました」と経緯を説明した。
このMVは娘として感慨深いものだった。かおるさんは「特に亡くなった母の映像はうれしい半面、涙も出て来ました。『パパの手』のビデオは私にとっては一生大切にしたい宝物のひとつとなりましたが、同級生たちにMVを見せたところ、『私もお父さんとこんな写真を撮った』といろんな写真がLINEで送られて来ました。ビデオの最後の方で私が庭で水遊びをしている映像があるんですが、それは普通の父の、普通の笑顔でした。あー、こんな風に遊んでいたんだなぁと」と振り返った。
来年3月で90歳になる高木にとって、今年は80代ラストイヤー。関口から長寿の秘けつを問われ、高木は「『無理をしない』ってことが長生きの秘けつだと思います」と即答した。
かおるさんは当サイトを通して「父はウクレレでオーケストラを組んで、演奏する事が長い間の夢でした。今回は初めてのホールコンサート。とても楽しかったみたいで、終演後、『まだ歌えるので、このままもう1公演やりたい』と言っていました。父はこれからもウクレレオールスターズでやりたい事がたくさんあるみたいで、(リハーサルは大変ですが)頑張ってほしいなぁと思います」とエールを送った。