『鎌倉殿』北条義時 最後の妻・伊賀の方の“不穏な動き”を知っておくべき 一層興味深くなるドラマ展開

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
画像はイメージです(K.Nakano/)
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 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、北条義時3人目の妻となる菊地凛子演じる「のえ」(伊賀の方)が、ドラマの第34回「理想の結婚」から登場してきました。

 義時は、比企朝宗の娘・姫の前(ドラマでは比奈)と結ばれ、彼女は朝時・重時を産んでいましたが、比企能員の変後、義時と姫の前は離別していたと思われます。その後、義時が結婚したのが、伊賀の方でした。なぜ、彼女が伊賀の方と呼ばれたかと言うと、武士・伊賀朝光の娘だからです。

 伊賀の方は、義時との間に政村という男子をもうけています。北条政村は、後に鎌倉幕府第7代執権になる人物。蒙古襲来を撃退(元寇)したことで有名な北条時宗が未だ年少ということで、60歳と老齢の政村が執権に就任することになったのです。

 2001年に放送された大河ドラマ「北条時宗」では、政村を俳優の伊東四朗さんが演じていました。野心家の側面を覗かせる政村を演じられていたように思います。「鎌倉殿の13人」と「北条時宗」ー2つのドラマを見比べてみるのも楽しいかもしれません。

 さて、義時は1224年6月に亡くなりますが、その直後、伊賀氏が不穏な動きをしている様が『吾妻鏡』から窺えます。伊賀の方の兄・伊賀光宗が三浦義村の邸に出入りし、密談しているというのです。これは、伊賀の方やその兄・光宗が三浦氏と共謀して、政村を執権職に付けようとするものと噂されました。

 その噂を聞いた北条政子は義村邸を訪問。義村に「政村に味方して世を乱すつもりか、それとも和平に尽くすのか、どちらですか」と迫り、義村から「政村には北条泰時(義時の嫡男)に背くつもりはありません。一方、伊賀光宗は叛逆するつもりです」との証言を引き出すのです。『吾妻鏡』によると、光宗は公卿の一条実雅(妻は義時の娘)を将軍にしようとの想いを持っていたとのこと。陰謀発覚ということで、伊賀の方と伊賀光宗は流罪となります。

 伊賀の方は伊豆国北条に流罪となっていたようです。その4カ月後、鎌倉に義時の未亡人が病となり、危篤となっているとの知らせがありました。伊賀の方はいわゆる「伊賀氏の変」直後に亡くなったと思われます。

 伊賀氏が本当に謀反を企んでいたかは疑問という説もあります。義時の未亡人として影響力を持つことになる伊賀の方(伊賀氏)を政子が陰謀・謀反をでっち上げて潰そうとしたとの見解もあります。

 この「伊賀氏の変」はおそらくドラマでは描かれないでしょうから、そのようなことをも頭に入れて「鎌倉殿の13人」を見ていくと、今後の義時とのえとの関係も一層興味深く映るのではないでしょうか。

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