かつてホームレスだった60代半ばのピン芸人「ジジ・ぶぅ」をご存じだろうか。どんな悲惨な状況でも、のほほんと切り抜けてきたが、それは壮絶な人生でもあった。その芸人が出演しているお笑いライブの主宰者でもあるコラムニスト・なべやかんが、「ジジ・ぶぅという男の人生」を2回に分けてつづった。まずはその前編をお届けする。
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芸人は貧乏である。そう思っている人たちは多いのでは?「ワハハ本舗」所属のジジ・ぶぅさんは、生まれながらの大金持ち麻生太郎さんには理解できないレベルの壮絶貧乏体験をしている。
ジジ・ぶぅさんの芸能活動は22歳の時に劇団未来劇場から始まる。入団1年目で(フジテレビ系の子ども番組)「ママとあそぼう!ピンポンパン」に登場するキャラクター・むしばかめんのスーツアクターを務める事になった。その後もマックロード、バスクリンのCMが立て続けに入り、(フジテレビ系のトーク番組)『ライオンのいただきます』でライオンちゃんのスーツアクターも務める事になった。
順風に思われたが、劇団内では研修生扱いで、「あいつはなぜ劇団の稽古に来ない?」と嫌味を言われる事が続き、退団する事に。小田原にある実家からは「芝居をやるなら勘当だ!」と言われていたので帰る場所がなかったのでホームレスデビューをする事になった。最初は新宿駅東口で寝ていたが、先住のホームレスたちにボコボコにされ、新宿を離れる事になった。
「ホームレスに縄張りがある事を始めて知りました。寝ていたら、4人に羽交い絞めにされてボコボコですよ」
その後、(都内の)四ツ谷駅に移動する。
「金網をくぐると駅の掃除用具置き場がありまして、ここなら先人がいないから大丈夫だと思ったのですが、駅員に追い出されました」
ゴミあさりをしながら移住先を求め歩いていると、他のホームレスから「上野公園なら受け入れてくれるよ」と教えてもらい、上野に向かった。
「寝床を作るため段ボールを拾ったら、それは俺のだってホームレスに怒られました。『俺の名前が書いてある』ってわけのわからない事を言われて。でも、その人が段ボールやブルーシートの拾える場所や家の作り方を教えてくれました」
ジジ・ぶぅさんの武勇伝で必ず出て来るのが、さまざまな動物を食べた話だ。
「ホームレス時代、自分が狙っていた弁当の食べ残しをカラスに取られたんです。食事は毎日カラスとの取り合いです。悔しくて石を投げたらカラスに当たって倒れたので食べる事にしました。ボイルして毛をむしって食べたのですが、すごく不味(まず)かったですね」
(カラス対策で頭を痛めた)都知事時代の石原さんが聞いたら喜びそうな話だ。それにしても、カラスを食べる事に抵抗はなかったのか?
「小学生の時、家の畑にモグラが出て、親父が捕まえて、お袋が甘辛煮にしたんで食べたりしてました。そんな事もあったのでカラスに対して抵抗はありませんでした」
数年、ホームレスを続けていたが、ホームレスを抜け出したくなる事件が起こった。それは仲間のホームレスの死だ。
「『死神さん』という酒ばっかり飲んでいる人がいまして、その人が倒れたんです。ホームレス仲間で病院前に死神さんを放置しました。死神さん、酒で体がかなり悪くなっていたようで即入院だったのですが、夜中に病院を抜け出して来て、その時、病院からアルコールを盗んできたんです。アルコールって言っても消毒用ですよ。もしかして飲んじゃうかなーと思っていたら、本当に飲んじゃって死んじゃったんです。それを見て、俺もいつかこうなるのかもしれないって怖くなって、ホームレスを抜け出そうと思いました」
ホームレスを抜け出そうとしても、家もなければ金もない。抜け出す方法を相談した相手は、段ボールを買い取ってくれる業者の社長だった。
「『お前、数は数えられるか?』って聞かれ、『ハイ』って答えたら、大判、中判、小判(段ボールのサイズ)の分け方や買取値を教わりました。小判は重さで買い取りになるのですが、『水で濡らして重くしてくる奴がいるので、それを注意しろ』と言われましたね。その人の下でバイトしていたら、(東京・新宿区の)曙橋にアパートを借りてくれて、2か月分の家賃も払ってくれました。『もう、こっちの世界に帰って来るなよ』って言われて、それっきりです」。その〝足長おじさん〟により、ジジ・ぶぅさんはホームレスの世界から足を洗った。
さて、その後の人生はどうなったのか?続きはまた!