「宇宙怪獣ガメラ」が映画祭で復活 主演のマッハ文朱「若いガメラファンにとって私はキララ」

北村 泰介 北村 泰介
マッハ文朱(中央)らスーパーウーマンの視線の先で、バイラスと戦うガメラ(C) KADOKAWA1980
マッハ文朱(中央)らスーパーウーマンの視線の先で、バイラスと戦うガメラ(C) KADOKAWA1980

 昭和の映画黄金時代を彩った大映の特撮作品が「妖怪・特撮映画祭」と題し、16日から都内の角川シネマ有楽町を皮切りに、全国順次公開で一挙上映される。「ゴジラ」の東宝に対し、大映の特撮映画を代表する怪獣キャラクターといえば「ガメラ」だが、今回ラインアップされた同シリーズ9作(平成版1作含む)のうち、昭和最後の作品となった「宇宙怪獣ガメラ」(1980年公開)で主演した元プロレスラーでタレント、女優のマッハ文朱に同作への思いを聞いた。

 70年代半ばに女子プロレス界の頂点に立ち、引退後、本格的に芸能活動を続ける中、マッハにとって自身初の映画主演作となったのが「宇宙怪獣ガメラ」だった。「私はガメラで育った世代。小さい頃から大好きでした」。第1作は65年公開の「大怪獣ガメラ」で、マッハは当時6歳。以降、71年まで毎年計7作が製作された後、9年ぶりとなる8作目の主演に抜てきされた。

 役名はキララ。地球侵略を企む宇宙海賊と闘う異星人(スーパーウーマン)3人のリーダー格だ。右耳を触ってから、空手の下段払いのようなポーズを経て両手を頭上で激しく交差させて変身。白タイツ地のコスチュームでスーパーマンのようにマントをひるがえして空を飛ぶ。

 「撮影当時は20歳で、アクションシーンはもちろんスタントマンなしで全てやりました。変身ポーズは湯浅憲明監督に言われて私が考えたんです。それまでのガメラ作品の映像に、新たなシーンを特撮の技術で合わせていくという、ガメラの集大成的な作品だと思います」

 ネット社会で国境や世代を超えた新たなファンが増えていると実感する。

 「2年前、約40年後の『キララ』として、京都でのガメラ上映イベントに行くと、立ち見の出る超満員。その光景に感謝と同時にビックリしました。最近、動画やDVD、ブルーレイなどでガメラを知った人がマッハ文朱を知るようになった。ツイッターでは、女子プロレスで世界チャンピオンになったマッハというより、ガメラの『キララ』なんです。20―30代の人にはキララの印象が強く、特に女性が多い。マッハ文朱になって48年ですが、昭和最後のガメラに出たことで、平成を超え、令和の時代にマッハを超えてキララとしてよみがえるとは夢にも思わなかった」

 海外での反応も肌で感じた。

「私の変身ポーズを海外の人がネットの動画にあげています。日本の怪獣映画マニアは多いですからね。私は約20年、アメリカに住んでいましたが、『Gフェスタ』というイベントにサプライズゲストとして登場させていただき、サインもしたりして熱気を感じた。『G』のガメラやゴジラは海外に住む日本人にとって誇りを持てる存在です」

 マッハは今年1月に公開された映画「ネズラ1964」に出演し、宇宙怪獣ガメラの時と同様に主題歌も歌った。同作は、大映が64年に公開予定だった幻の特撮映画「大怪獣ネズラ」の舞台裏を描いた作品。実現していればガメラに先んじて大映初の特撮怪獣映画となるはずだったネズラにオマージュを捧げた同作に、マッハもガメラゆかりのキャストとして参加した。「ガメラとは切り離せません。『ネズラ1964』は米国でDVD、ブルーレイ発売が決まりました」

 80年代にテレビ朝日系「象印クイズ ヒントでピント」で共演した作曲家の小林亜星さんが亡くなった。「(6月に報じられた時)私はロスにいて、ツイッターで思いをお伝えしました。亜星さんは『僕が曲作るからマッハさん歌ってよ』と言ってくださり、『ぜひ歌わせてください!』というやりとりが最後になってしまった。でも、亜星さんの作品は魂として残りますから。ガメラもそうだと思いますし」

 東京開催の同映画祭で「宇宙怪獣ガメラ」の上映は8月3日、6日、11日の予定。マッハは「今回は『宇宙怪獣ガメラ』もリクエストが多く、上映作品に加えてくださった。昨年はガメラ生誕55周年でしたが、コロナでイベントができなかったこともあり、うれしいです。キララは地球を救うために人間の形を借りて異星から銀河を超えて、この地球にやってきた。今の世の中、災害やコロナといろんなことが起きていますが、映画を見ていただいて、この作品に込められたパワーをお届けしたい」と願った。

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