プロ野球のロッテで主力投手として活躍し、現在、日本製鉄かずさマジック監督を務める渡辺俊介氏(48)。長男の向輝さんは東大野球部の4年で父と同じ下手投げ右腕としてプロからの注目も集める。野球を続けながら中学受験で中高一貫の海城(東京)に入学し、大学受験では、模試の「E判定」から東大理科2類に逆転合格を果たした。父としてできることを模索しつつ息子を見守ってきた日々を聞いた。
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「すごいなと思いましたよ。僕らはそこまで望んでなかった。東大に行きなさい、なんて1ミリも思ってなかったので」
渡辺さんは率直な言葉で、向輝さんが東大入学を果たした当時を思い起こした。
現在農学部で農業・資源経済学を専修する向輝さんは、高い東大合格実績を誇る海城での中高6年間で受験へのイメージを膨らませていったという。
「高校に入ってから明確な目標を持ってやってましたね。慕っていた中学の野球部の先輩が東大に行って、神宮で野球をして甲子園組と戦ってる。あの人みたいになりたいとか、野球をやりながら東大を目指す、神宮で投げるなら東大しかないとか」
向輝さんは大学野球で活躍する自分を思い描きつつ、高3の最後の夏を迎えるまで野球に打ち込み、その後勉強を本格化させた。
「東大は難しいだろうって成績からのスタートでE判定から上がっていった。覚えるコツ、集中するコツみたいなのは随分あったんだと思う」
合格確率20%以下からの見事な巻き返しを思い返した。
向輝さんが中学受験に挑んでいた当時、渡辺さんは米国の独立リーグなどでプレーしており日本にいなかった。大学受験では何かできることはないか、会社の上司など東大出身者に尋ねたという。
「僕は受験のことは分からないんで東大受験ってどんな感じですかってサポート方法を聞いたりしたんですけど、『おやじができることは、見守ることだけ、できることはないよ』って」
中学受験から二人三脚で歩んできた妻と息子が感情を抑えられずぶつかり合うような時には、お互いから話を聞いた。向輝さんの気分転換にキャッチボールに付き合うこともあったが、やはり見守り応援するしかなかった。
「中学受験とか大学受験って難しいですよね、思春期の時にそこに向かうって。感情のコントロールにしても、これが答えだ、こうすれば大丈夫だみたいなものはないじゃないですか。三者三様、誰が目指しても同じ感じにはならない」
しみじみと語る。
勉強に目覚めた小学4年生当時の向輝さんが、塾から帰ってきてこんな報告をしたことがある。
「塾の先生に言われたんだけど、受験に遺伝は関係ないんだって。自分が頑張ったら頑張っただけできるんだって」―。
公立中から野球推薦で国学院栃木高、国学院大と歩んできた渡辺さんは「よかったというか、そうか頑張れよって言いましたよ」と苦笑する。
「本人の中で多分、僕に対してある時からライバル心というか、何かで父親に勝ちたいって思いがあったんじゃないかと。勉強では認められたい、そのライバル心が頑張る原動力になっていたのかな。努力を積み重ねてよく頑張った。尊敬できますね、息子ですけど」
野球を続ける限り自分と比較されることからは逃れられない。息子の心の内を察しつつ「向輝が超えたいと思ってくれるよう生きていこうとは思ってましたから」と穏やかな表情を見せた。
合格が決まった時「受かっちゃったよ」と興奮する向輝さんを、渡辺さんは「調子に乗るなよ!」「自分で言うんじゃないぞ!」とたしなめた。
「僕もジワジワくるものはあったんですけど、そっち側に回りました。向輝はもっと派手に喜んでほしかったらしいですけどね」
プロで活躍し始めたころ、気付かぬうちに調子に乗っていたという自分を省みての、父としての教えだった。