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大河ドラマ「豊臣兄弟!」大和国に入った羽柴秀長が最初に行なったことは何か

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
池松壮亮(左)と仲野太賀
池松壮亮(左)と仲野太賀

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第37回は「秀長の国」。天正13(1585)年8月、羽柴秀長(秀吉の弟)は「四国征伐」(長宗我部元親征伐)の総大将として活動し、ついに元親を降伏に追い込みます。四国平定の論功行賞として秀長が与えられたのが、大和国でした。それまでの本拠であった紀伊国和歌山城から、大和国の郡山城に移ることになります。大和国を与えられたと言っても、全域が秀長の手中に入った訳ではありません。大和には秀吉の直臣の所領もあったからです。また大和国は興福寺をはじめとする有力な宗教勢力が長年幅をきかせており、小規模な領主が林立しているような有様でした。そうした状況を改変し、大和国を大名の統治下に編成するーそれが「豊臣兄弟」(秀吉・秀長)が目指したものだったのです。

 秀吉は同年9月上旬、大坂から大和国に下向しています。それには秀長も同行していました。5000の軍勢を率いてきた「豊臣兄弟」の大和入りに際しては、興福寺・東大寺の僧侶らが大勢出迎えます。大和を与えられた秀長だけでなく、秀吉が大和に下向したのは、強力な寺社勢力が存在していた同国も豊臣政権の統治下に入ったことを誇示したかったからでしょう。大和下向の際、秀吉は興福寺に寺領の明細の提出を命じています。興福寺はその命令にすぐさま応じた訳ですが、大和国を賜った秀長が命令を出していないことも注目されます。領国統治の権限は秀吉にあり、統治の最高主権者はあくまで秀吉であったことが分かります。秀吉の弟で信頼されていた秀長であっても、秀吉から領国統治を任された存在に過ぎなかったのでした。

 大和に入った秀長は家臣(奉行人や奉公人)の非法行為(例えば私的に人夫役を徴発する)によって同国が乱れるのを防ぐため、高札を掲げています。すなわち、家臣に非法行為があったならば連絡すればその者を処罰すること、人夫役については秀長の命令でなければ従う必要はないことなどを伝達しているのです。秀長の領国支配の第一歩でした。

(主要参考文献一覧)
・和田裕弘「豊臣秀長」(中央公論新社、2025年)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長『豊臣兄弟』の天下一統」(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)

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