NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、織田信長が「本能寺の変」で亡くなり、いよいよ兄弟が天下を駆け上っていく展開になってきた。しかし、2人が豊臣政権を樹立するには、まだ幾つもの苦難が待ち受けているのだった。
その中で秀長の貢献度が一番高かったいといわれるのが「九州平定」だ。天正14年(1586年)4月、大友義鎮(宗麟)は大坂城で秀吉に謁見。九州全土を掌握しつつある島津氏に対抗するため、大友氏は秀吉に援軍を頼んだ。
秀吉は、それを口実に「九州平定」を始めるが、序盤は島津優勢であった。天正14年(1586年)12月、豊臣方の軍勢と島津軍は鶴賀城(大分県大分市)付近で激突。世にいう「戸次川の戦い」である。
秀吉の命令で、長宗我部元親や仙石秀久の四国勢と大友義統率いる大友軍の連合軍は、島津の「釣り野伏戦法」にかかり、元親は嫡男の信親を失うなどの大惨敗、大友義統は敗戦地から高崎山城へ逃げ帰った。
しかし、その敗戦後に秀長が九州の東側、秀吉が九州の西側をそれぞれ南下して薩摩へ向けて軍勢を進め、反撃に出る。
天正15年(1587年)3月下旬頃、秀長は日向(現宮崎県)へ入国。秀長は、島津方の山田有信が守る高城(宮崎県木城町)を攻める。都於郡(とのこおり)城から、島津軍(島津義弘や家久ら)は高城を救うべく出撃した。こうして「第二次高城合戦」が開戦した。
秀長は、島津軍の援軍を予期して、高城の南西位置に、東西に伸びる丘地があり、そこへ「根白坂砦」を宮部継潤、藤堂高虎、黒田官兵衛に築かせた。深さが三間(約5メートル50センチ)もある空堀を築いた。
島津軍は夜襲をかけたが失敗、島津軍は敗走し、秀長は大きな勝利を得た。この戦いをキッカケに島津氏は秀吉に降参して和睦に応じた。
秀吉軍は大きな戦いもなく南下し、秀長軍は島津氏へ決定打を与えたことで九州平定を終わらせた。秀長が最も貢献したと言われている。
豊臣兄弟ゆかりの城跡を持つ九州4地域の有志が手を結び、コラボ御城印「豊臣兄弟ゆかりの城 御城印めぐり九州」を7月25日に発売。九州の高崎山城、高城、都於郡城、名護屋城の4種類の御城印を購入し、入手し並べると「九州のカタチ」が完成するデザインや仕掛けとなっている。
御城印は2027年8月31日までの期間限定の御城印となっている。値段は各1枚 500円(税込)。大河ファンや御城印ファン、お城ファンのみならず、珍しい御城印は人気を呼びそうだ。
販売場所/高崎山城(道の駅たのうらら・大分県大分市)、高城(木城温泉館 湯らら、木城町農産物直売所 菜っ葉屋・宮崎県木城町)、都於郡城(上野商店・宮崎県西都市)、名護屋城(道の駅桃山天下市物産館・佐賀県唐津市)