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大河ドラマ「豊臣兄弟!」羽柴秀吉「信長は死んでいない!」生存情報を流した納得の訳とは 識者語る

濱田 浩一郎 濱田 浩一郎
池松壮亮
池松壮亮

 大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回は「急げ!秀吉」。羽柴秀吉によるいわゆる「中国大返し」が描かれました。天正10年(1582年)6月2日、織田信長は京都本能寺において家臣の明智光秀に討たれます。

 信長の突然の死を知った秀吉は対決していた毛利氏と和睦を成立させ、備中国高松城から姫路方面に向かいました。同月4日の昼過ぎには備中高松城を出て、野殿(岡山市北区)そして沼城(岡山市東区)に向かいます。5日の夜までには沼城に到着したと考えられています。

 その頃までに秀吉は摂津国の武将・中川清秀から書状を受け取っていましたが、その清秀に対し、秀吉は6月5日付で返書を書いています。本能寺の変に動揺する清秀に秀吉は「京都より来た者がはっきりと、上様(信長)と殿様(信忠。信長の後継者)は無事であり、脱出して膳所(近江国)に退かれたと言った。福富平左衛門の比類なき働きにより、無事に退くことができたとのこと。先ずもってめでたい」と書き送っているのです。

 つまり、信長・信忠父子は京都で死なず、無事に近江国(現在の滋賀県)に脱出していると書いているのです。勿論、これは嘘です。

 信長は本能寺で、信忠は二条御所にて死んでいます。秀吉は信長の死を知っていて、あえてこのような偽情報を書き送ったのでした。明智光秀を討伐するにはできるだけ多くの武将の加勢が必要です。そのためには「信長様は生きている」との生存情報を流して、諸将の動揺を防ぎ、自ら(秀吉)に味方させる必要があったのでした。他の大名などにも同じような情報が秀吉から流されたとも考えられています。これも情報戦の1つと言えるでしょう。

(主要参考文献一覧)
・黒田基樹「羽柴秀長の生涯」(平凡社、2025年)
・柴裕之「秀吉と秀長『豊臣兄弟』の天下統一」(NHK出版、2025年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)

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