「シャボン玉ホリデー」「NTV紅白歌のベストテン」「ザ・ベストテン」などテレビ黄金期の音楽番組、植木等さんの「スーダラ節」や小林旭の「自動車ショー歌」といった戦後エンターテインメント史に残る名曲のレコーディング演奏でも知られるビッグバンド「宮間利之ニューハード」の公演がこのほど、都内で開催された。サーカス、渡辺真知子、トワ・エ・モワがゲスト出演し、バンドとの共演で新たな一面も垣間見せた。構成・演出・MCを務めた“オトナの歌謡曲プロデューサー”佐藤利明氏が当サイトにその魅力を解説した。(文中一部敬称略)
バンドの創立者である宮間利之は1921年生まれ。39年に海軍軍楽隊に入団し、戦後はジャズミュージシャンとして活躍。58年に「子羊の群」を意味する「ニューハード」を結成し、国内外でのライブに加え、ラジオ・テレビ、レコード界で幅広く活躍した。宮間は2016年に死去したが、翌年からコンサートマスターでサックス奏者の川村裕司(72)を中心に、故人となったリーダーの名を冠して活動を継続。メンバーの年齢層は30~90代と幅広く、トランペットとトロンボーンが各4人、サックス5人、ギター、ベース、ドラムス、ピアノ各1人の計17人となる。
6月2日に昭和女子大学・人見記念講堂で行われた公演では、男女4人のコーラスグループ「サーカス」が最初に登場。結成時からグループの中心となる叶正子、2歳下の弟で病気療養中の叶高に代わって登場した4歳下の弟・叶央介、13年に新加入した叶ありさ(高の娘で正子の姪)、吉村勇一がジャズのスタンダード曲や「アメリカン・フィーリング」(79年)など持ち歌を披露。78年に大ヒットしたデビュー曲「Mr.サマータイム」では間奏で繰り広げられたバンドのトロンボーン演奏によって、歌の世界観である「夏の日の郷愁」がより強く胸に迫った。
渡辺はシンガー・ソングライターとしてデビューした77年の「迷い道」、翌年の2枚目シングル「かもめが翔んだ日」をラテン音楽「サルサ」のアレンジに加え、スペイン語の歌詞も交えて熱唱。さらに「服部良一先生がビッグバンドのために書いた曲」という笠置シヅ子の「ラッパと娘」(1939年)を軽快にスイングする演奏と共に再現した。
10月に迎える古希に向け、渡辺は「『迷い道』から49年、来年で50年。私もお年頃になって参りました(笑)。どのように古希を迎えようかと…。還暦の時もそうでしたけど、一生に一度のことですから」と、ニューヨーク録音のラテンジャズ・アルバムを今春リリースするなど新境地に挑む近況を語り、80年のヒット曲「唇よ、熱く君を語れ」で締めくくった。
国民的な名曲を世に出したデュオ「トワ・エ・モア」は「誰もいない海」(70年)をはじめ、69年のデビュー曲「或る日突然」、72年の札幌冬季五輪テーマソング「虹と雪のバラード」などを透明感のある白鳥英美子のボーカルと芥川澄夫の熟練のハーモニーで披露。バンドも堅実な演奏で2人を支えた。
佐藤氏は「1961年に発売された『スーダラ節』では、ハナ肇とクレージーキャッツの植木等さんのファースト・レコーディングでニューハードが演奏すると、スタジオが笑いの渦となり、植木さんも思わず吹き出して“笑いながら歌う"という歌唱を確立して大ヒット。64年には小林旭さんがコミックソングをやろうという際に『あのスーダラ節を演奏したバンドで』ということで『自動車ショー歌』も演奏しました」と説明。両曲もステージで生演奏された。ラストは全員で「見上げてごらん夜の星を」、アンコールで「明日があるさ」と、いずれも坂本九さんが歌った昭和の名曲をバンド演奏と共に締めくくった。
佐藤氏は「1960年代、70年代、80年代というテレビの黄金時代、お茶の間にはいつも音楽があふれ、ポップス、歌謡曲、フォーク、ニューミュージック…がジャンルを超えて混ざり合い、日本の音楽文化が最も豊かに輝いていた時代でもありました。そして、その時代の音楽を支えていたのがビッグバンドのサウンドです。ブラス(金管楽器)の迫力、リズムの躍動感、歌と演奏が一つになって生まれるライブならではの熱気。生音の魅力です」と解説。今後に向け、佐藤氏は「9月23日に山梨で『みんなのヒットパレード ファンタジーコンサート』として開催します」と活動継続をアピールした。