大河ドラマ「豊臣兄弟!」第22回は「播磨大誤算」。天正5年(1577年)10月、主君・織田信長の命を受けた羽柴秀吉は、播磨国(兵庫県南西部)に向けて進発します。
播磨国の有力国衆から人質を取り、織田方とした秀吉。西播磨の上月城や福原城を攻略し、播磨平定も間近と思われましたが、天正6年(1578年)3月、三木城(兵庫県三木市)の別所長治が突如、毛利氏に寝返るのでした。別所氏が信長から離反した理由としては、信長によって都を追われ、毛利氏の庇護下にあった足利義昭の調略が大きな影響を与えていたと考えられています。
さらには当時、別所氏だけでなく、高砂の梶原氏や明石の明石氏も毛利氏についています。別所氏の信長離反の理由としては「播磨国守護赤松氏の流れを汲む名族・別所氏が出自が低い秀吉の麾下に入ることを嫌がった」「別所氏が秀吉に提起した作戦が受け入れられなかった」などの説明が為されることもありました。
しかし、そうした感情論ではなく、信長に敵対する巨大な勢力(本願寺や毛利氏)の動静を別所氏は見極めて、毛利氏につく判断をしたと思われます(前述したように足利義昭の調略も大きな影響があったと推測されます)。前述の「破城」の件も別所氏は不満に思ったでしょうが、離反の決定的要因ではなかったと筆者は推測しています。
(主要参考文献一覧)
・池上裕子「織田信長」(吉川弘文館、2012年)
・渡邊大門「秀吉の出自と出世伝説」(洋泉社、2013年)
・桐野作人「織田信長」(KADOKAWA、2014年)
・濱田浩一郎「秀吉と秀長 天下統一の軌跡」(内外出版社、2025年)