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玉袋筋太郎40周年「この芸名で運動会にも行けなかった」愛息に感謝…別居中の妻に同居懇願も撃沈の芸人魂

北村 泰介 北村 泰介
玉袋筋太郎の芸能生活40周年を祝って鏡割をする(左から)村西とおる、太田光、高田文夫、玉袋、徳光和夫、テリー伊藤=東京・明治記念館
玉袋筋太郎の芸能生活40周年を祝って鏡割をする(左から)村西とおる、太田光、高田文夫、玉袋、徳光和夫、テリー伊藤=東京・明治記念館

 お笑い芸人の玉袋筋太郎(58)が6日、東京・明治記念館で「第一回 芸能生活四十周年を祝う会」を開催した。芸能界だけでなく、政界、角界、格闘技、競輪、放送、スナック・居酒屋といった業界から約200人が出席し、幅広い交友関係を物語った。

 玉袋は高校を卒業した1986年、師匠・ビートたけしの元に弟子入りし、87年に水道橋博士と漫才コンビ「浅草キッド」を結成。芸人としての活動に加え、書籍出版、「町中華」にスポットを当てた番組作り、スナック経営、デイリースポーツの競輪予想コラムなど幅広いジャンルで個性を発揮してきた。

 この日は同世代の盟友であるピエール瀧の開宴宣言、ライムスター・宇多丸のラップに乗って、玉袋が羽織袴姿で登場。フリーアナウンサー・草野仁は「40年たっても玉ちゃんは変わらない。判断を迫られた時も、いろんな事を勘案して見事な選択をして来られた」、徳光和夫は「玉袋筋太郎…この名前でよく40年も。これほど見事な芸人はいない。ブレずに、この名を芸能界に刻んでいただきたい」とエールを送った。

 さらに、たけしのブレーンとして、玉袋を入門当時から見守ってきた放送作家の高田文夫、爆笑問題の太田光、鈴木宗男参議院議員、テリー伊藤、元プロレスラーのブル中野、村西とおる、3人組ヒップポップグループ「スチャダラパー」らも挨拶。落語家の立川談春は「立川志らくとの『立川ボーイズ』で浅草キッドと一緒にコンクールに出たこともあり、そういう意味では戦友」、タレント・松本明子は「青春時代を一緒に過ごした親戚のお兄ちゃんのような存在」、フリーアナウンサー・赤江珠緒は「とても人間臭い人。赤江一族の長(おさ)」などと語った。

 大相撲の大関琴桜は当サイトの取材に「(同席した)大山親方(元北勝富士)の結婚式で声をかけていただいて連絡先を交換したことがきっかけ」と親交を深めた経緯を説明し、「知りあう前から玉袋さんの番組を観たり、本をいただいていました。40周年、なかなかできる方はいらっしゃらないと思います。自分も同じように頑張っていければいいと思います」とカド番で臨む名古屋場所での巻き返しを誓った。

 また、ビデオ出演の清水ミチコが高市早苗首相のモノマネで祝辞を述べると、玉袋は「今回、高市さんにも案内状を出していたんですよ。高市さんの披露宴の司会をやったことがあり、なおかつ、私もリウマチで持病も一緒。通っている歯医者も一緒」と、欠席した首相との意外な接点を明かす一幕もあった。

 息子の赤江晃宏さんは父とのエピソードを披露した上で「私の原点」と思いを重ね、「長い間、父の強いこだわりと、江戸っ子ならではの破天荒な振る舞いに付き合っていただいた皆さんは父にとっての戦友であり、玉袋筋太郎を作り上げてくださった偉大なるプロデューサーです」と感謝した。

 玉袋は「うちのセガレが俺の名前の影響でいじめに遭うんじゃないかと、一切、行けなかった。行きたかったですよ、セガレの運動会」と振り返り、「親バカになってしまいますが、素晴らしい成長した姿を見ることができて、本当にうれしかった。ありがとう。40年の中で家族に支えられました。この芸名を(師匠から)受けて40年。よくぞ生き残ったと、我ながら自分を褒めてやりたい」と感慨に浸った。

 さらに、来年で還暦を迎える玉袋は「私、結婚33年目になりますが、そのうち別居が8年。『町中華で飲ろうぜ』(BS-TBS)が始まった頃と合致するわけです。一人は寂しいもんですよ。この年になると、独り暮らしはつらい。家で倒れて1週間後に発見されるとか、そういう状況もある」と切実に語り、そこに別居中の妻・紀子さんがサプライズ登場した。

 玉袋は「戦争は終わった。だから、ぜひ、今回を記念して、ママ、家に帰ってきてください。お願いします」と深く頭を下げて懇願したが、「ごめんなさい」と妻に切り返され、「だめだ、こりゃ~」とオチを付ける芸人魂を発揮した。

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