昭和の歌謡界をけん引した作詞家の橋本淳さん(享年86)が5月21日に肝硬変のため都内の病院で死去していたことが1日に報じられた。数多くの作品中、今も世代を超えて歌い継がれる「真夏の出来事」(1971年)の平山みき(76)、「カナダからの手紙」(78年)を平尾昌晃さん(2017年死去、享年79)とデュエットした畑中葉子(67)が当サイトの取材に対し、それぞれの代表曲を生んだ恩師を追悼した。
橋本さんは、いしだあゆみさんの大ヒット曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」(68年)などの歌謡曲をはじめ、60年代に隆盛を極めたGS(グループサウンズ)の歌詞を次々に手がけた。67年の日本レコード大賞に輝いたジャッキー吉川とブルー・コメッツ「ブルー・シャトウ」、ザ・タイガース「僕のマリー」「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「銀河のロマンス」、ヴィレッジ・シンガーズ「亜麻色の髪の乙女」、オックス「スワンの涙」、ザ・ゴールデン・カップス「長い髪の少女」、ザ・ダイナマイツ「トンネル天国」など枚挙にいとまがない。
70年代にはヒデとロザンナ「愛は傷つきやすく」、岡崎友紀「私は忘れない」、野口五郎「青いリンゴ」、郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」、内藤やす子「弟よ」、浅野ゆう子「セクシー・バス・ストップ」など、80年代も小泉今日子「半分少女」、The Good-Bye「気まぐれONE WAY BOY」といった数々の曲を残し、フジテレビ系アニメ「銀河鉄道999」(78~81年放送)やアニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」(79年、宮崎駿監督)の主題歌も手がけた。
平山にとって「真夏の出来事」は2枚目シングル(当時は三紀名義)。デビュー曲「ビューティフル・ヨコハマ」(70年)に続き、橋本さんと作曲家・筒美京平さん(20年死去、享年80)の黄金コンビによる作品だった。
近年も、筒美さんが生前書き下ろした新曲に橋本さんが作詞した「Jazz 伯母さん」と「ラスト・ラブ・ソング」の2 曲を22年に配信リリース。アルバム「トライアングル 筒美京平☆橋本淳☆平山三紀 3人の絆」も同時発売し、封入されたプックレットの対談で、橋本さんは「僕と京平さんは中学生の頃に出会って、女房よりも長い時間を過ごしてきましたから、言葉にしなくてもそういうこと(※曲作りの機微)が分かるんです」と盟友への思いを語っていた。
訃報を受け、平山は「橋本先生 ありがとうございました 初めてお会いした時から『平山みき』を娘のように育てていただき 感謝しかありません」と綴った。さらに「京平先生がお亡くなりになった後、橋本先生と改めて京平先生と 3 人の曲を聴き返し『トライアングル』というアルバムの制作をさせていただいた時は同志の様で楽しかったです」と回顧し、「今、橋本先生が逝ってしまわれ やり残したこともいっぱいあるままで、とても寂しいです」と悼んだ。最後に「たくさんの作品を残していただきありがとうございました まだまだ歌い続けます 京平先生と一緒に見守っていて下さいね」と誓った。
一方、畑中は自身のデビュー曲「カナダからの手紙」について、「カナダを歌の舞台に選ばれたのは橋本先生で、制作プロデューサーさんが『橋本さんでなければカナダという地名は出てこなかったと思う。橋本さんは海外旅行へたくさん行かれているからね。橋本さんに作詞をお願いして正解だった』とおっしゃっていました」と秘話を明かし、「当時はまだまだ海外旅行が一般的ではありませんでしたので、聴く側にもカナダは新鮮だったように思います」と付け加えた。
さらに、畑中は「それまでのデュエット曲のように男女の歌詞の掛け合いではなく、1人の女性の思いの歌詞を男女のデュエットで歌うという斬新さも橋本先生のセンスがずば抜けていらっしゃることを証明しているように思います」と指摘。印象的なフレーズについて「息が止まるようなくちづけを どうぞ私に投げてください♪…橋本先生にしかお書きになれない歌詞だと思います」と絶賛した。
恩師への思いは尽きない。畑中は「デビュー前に橋本淳先生のお宅で奥様の手料理をご馳走になった時のことが一番の思い出です。その際に私の声を大変褒めてくださったことが今でもうれしく記憶に残っています。橋本先生は繊細で温かくて物腰が柔らかい、いつも笑顔の方でした。大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈りいたします」と偲んだ。
その上で、畑中は「『カナダからの手紙』をお作りになった作詞、作曲、編曲、制作プロデューサーの皆様が亡くなられてしまいました。今後は私が今まで以上に大切に歌い継いでいかなければと思っております」と前を向いた。