歌手のプリンスさんは、35歳を過ぎても生きたくなかったという。明らかな死への願望が、没後10周年を記念して、最も親しい家族、友人、そして共同製作者たちとの一連の対談の中で明らかになった。
2016年4月21日、57歳でこの世を去ったプリンスだが、ミネソタ州チャンハッセンにある広大な「ペイズリー・パーク」の邸宅内のエレベーター内で、意識不明の状態で発見された。死因は後に、強力な合成オピオイドであるフェンタニルの過剰摂取による事故死と断定されている。
プリンスの突然の死を悼む一連のインタビューの中で、照明ディレクターで友人でもあるレロイ・ベネット氏は次のように語った。 「プリンスは26歳くらいの時、『35歳を過ぎても生きたくない』と言っていた。プリンスとあと数十年も過ごせたことは、私たち全員にとって幸運だった」
本人との仕事について、ベネット氏はこう続ける。 「プリンスは、自身がどれほど並外れた存在であり、他の人間が追いつけないほどだったかを自覚していなかったと思う」
「プリンスは2時間のサウンドチェックを行い、ショーを演奏し、スタッフ全員をホテルに連れ戻してショーの映像をもう一度見させ、そしてショーの後にまた別のショーを演奏したものだった。『LoveSexy』ツアーの前、私は3日間も寝ずに過ごした」
「リハーサルの最初の5日間、プリンスは私にひどく当たってきてね。私の限界を探ろうとしていたんだ」「私はホテルに戻っては泣いていた」「ボビー・Z(初期のバックバンド『ザ・レヴォリューション』のドラマー)が私をぎゅっと抱きしめて、『心配するな。みんな通る道だ』と言ってくれた。もちろん私はその試練を乗り越え、それ以来、私たちは切っても切れない仲になった」
ベネット氏は、観客を魅了したいという共通の情熱から、その後プリンスと親しくなった経緯について次のように語った。
「私たちは視覚的な発想が似ていて、ショーというものの限界を押し広げたいと願っていた点で共通していた」「私が『ダーティ・マインド』ツアーを始めた頃、1000人収容の劇場に集まるのは100人程度だった。ところがローリング・ストーン誌がプリンスを取り上げた記事を掲載したことで火がつき、数千人が入場しようと殺到するようになった」
「それはカオスだったけど、素晴らしいカオスだった。ステージ上でプリンスがシルエットとして現れると、観客は熱狂した。そして本人が姿を現すと、さらに熱狂の渦に包まれた」
「プリンスの人気が高まるにつれ、演出もますます派手になっていった。ステージに消防用の滑り棒やベッドを置くようになったんだ。マドンナも後にそれを真似した。プリンスは自身のアイデアやスタッフを盗まれることを心配していた。私はクイーンとのツアーには参加できないと言われたこともある。少し重苦しい雰囲気だったけど、ある日プリンスがマネジメント事務所にやって来て、『彼らの曲って何だ?“プリンス・オブ・ザ・ユニバース”か!?』と尋ね、私の顔を見て大笑いしたんだ」
「プリンスは私を自分の分身のように見ていた。私がプリンスのところに行って料理を作ってあげたり、新しい曲を聴かせたい時は、車に乗せて走り回るのが大好きだった。名前をラヴシンボルに変えた後、初めてプリンスと呼んだ時、本人は『おっ』と反応していたよ。でも私が『他に何て呼べばいいの?』と言うと、笑っていた」
「結局、私は仕事を辞めたけど、プリンスがロックの殿堂入りした時、1時間半もかけて座って、一緒にやったことや、お互いをどれだけ愛し、不在を寂しく思っていたかについて話せたことには、とても感謝している」