落語家の立川志らく(62)がテレビのコメンテイターとして歯に衣(きぬ)着せぬ発言を繰り広げる度にネットで賛否両論の反響を呼んでいる。だが、「全身落語家」を標榜する男の原点は「笑い」にある。最新刊となる著書「現代お笑い論」(新潮新書)を世に出した志らくが「よろず~ニュース」の取材に対し、テレビのご意見番的な存在となった現在の立ち位置を俯瞰(ふかん)しながら、思想を超えた芸人としてのスタンスを明かした、
前座時代、落語立川流の兄弟子・快楽亭ブラック(73)に誘われて「放送禁止落語会」に出演していた志らく。“テレビの顔”となった今も、穏便な言葉を求める空間を打破する精神は一貫している。そのブラックの生き様を描いたドキュメンタリー映画「落語家の業(ごう)」が12月13日に都内の映画館「ユーロスペース」で公開され(1月3日以降も同所で延長公開)、期間中にゲスト来場した志らくに話を聞いた。
テレビのコメンテイターが落語家の在り方と重なるかといえば、やはり別物のようだ。テレビでの発言に反応する人たちが実際に落語会に足を運ぶのかと尋ねると、志らくは「それはつながらないですね」とした上で、次のように見解を語った。
「芸人にとって、テレビに出て知名度が広がることはものすごく大事なことで、それが動員にはある程度はつながっているはずなんですよ。全く名前も知らない人よりも、知っている人の落語会に行こうと。私は一時、バラエティにものすごく出させていただいたこともあるんですが、その頃の動員は地方公演でもすごかった。バラエティと落語は種類が違っても笑いがメインだからつながっていた。ただ、コメンテイターみたいな仕事だと、動員はかえって足を引っ張りますね。(テレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』 のコメンテイター)玉川徹さんがどんなにすごい(古典落語の名作)『芝浜』をやろうが、誰も聞きに来ないだろうと。私の場合もそれと同じで、リベラル側の人からしたら『こんなヤツの落語は聞きたくない』だし、保守的な人は『志らくの政治の話を聞きたいのであって、別に落語を聞きたいわけじゃない』ということになってしまう。だから、政治にまつわる話は(落語的には)どっちかというとマイナスですね」
それでもテレビ出演は続けている。志らくは「私のことに興味がなくても何かのきっかけで聞いて衝撃を受けてくれればと。その時に、『こんなやつの話、聞かなきゃよかった』と思われたら私の負けですが、また(その後に)衝撃を与えればいいだけであって。だから、ジャンル問わずお仕事は大事だなと思います」と考えを明かした。
そんな志らくに対して、リベラルな視点からSNS発信している立川流の兄弟子・立川談四楼は自身のX(旧ツイッター)で「『志らくを何とかしろ』というリプがたくさん寄せられる。志らくに会い、その旨を伝えたら『はい、私のところにも談四楼を何とかしろときます』と返ってきて、二人とも大ウケになった」(11月27日付)などと綴った。
このポストに対する見解を聞くと、志らくは「ごく普通のことだと思うんですよ。私は別に政治的な思想があるわけではなく、そんな思想によって付き合い方を変える必要はない」と言い切った。さらに、「私は水道橋博士とも仲がいいし、松元ヒロさんという“左翼芸人”とも年に1回の2人会を行っています。松尾貴史さん、ぜんじろうさんも、政治的な思想が違うから嫌いだなんてことは全然ないですからね。そこ(政治的思想)で判断することではない。『私は卵が好きなので、卵が嫌いなヤツとは口も聞かない』なんて、そんなバカな話はない(笑)。その程度のことです」と付け加えた。
「M‒1グランプリ」で18年から22年まで5年連続で審査員を務めた。志らくは最新刊「現代お笑い論」でランジャタイ、トム・ブラウンといった注目株からレジェンドまで総勢90組を論評。その中で、松尾の芸人としての力量について「凄まじい物真似芸、松尾貴史」と題して紹介した。また、「護憲派」として知られ、時の権力を風刺する芸風によって「テレビで会えない芸人」と称される松元とは「松元ヒロ&立川志らく」と題したイベントを来年2月5日に都内で開催する。
「右か左か」の物差しで割り切れるほど、「落語家の業」を抱えた人間は単純ではない。今後も「志らくの了見」でテレビと高座を横断していく。