大河ドラマ「べらぼう」第45回は「その名は写楽」。江戸時代後期の浮世絵師・東洲斎写楽は「謎の絵師」として著名です。生没年も不詳。突然、彗星の如く現れ、役者絵などを発表するがその活動期間は約10カ月ほど。その後の消息は殆ど伝わらない。そのような事情から写楽は「謎の絵師」として現代においても有名です。写楽とは一体、何者なのかということも議論の対象になってきました。写楽は、大河ドラマ「べらぼう」の主人公・蔦屋重三郎よりも有名だったと言って良いでしょう。しかし、写楽の作品を世に送り出すことに貢献したのは重三郎だったのです。
とは言え、重三郎と写楽がどのようにして出会ったのか、そういった詳しいことは全く分かっていません。が、写楽の最初の役者絵の蔦屋からの出版が寛政6年(1794年)5月であることから2人の出会いについてある程度、想像することはできます。役者絵を売り出す最大の好機は11月です。歌舞伎界の重要な行事「顔見世興行」(観客に俳優の顔を見せる重要な行事)があるからです。2番目の好機が正月です。だが、写楽の最初の役者絵はそれらの月ではなく、前述のように5月の出版。そこに何らかの事情が反映されている可能性もあります。その事情というのは11月と正月に写楽の役者絵を出版する時間的余裕がなかったのではないでしょうか。よって重三郎と写楽の出会いを寛政5年(1793年)の末頃か寛政6年の春頃とする見解もあるのです。
重三郎は役者絵を売り出す好機の月でなくとも、是非とも写楽の絵を出版したいと考えていたのでした。そこに重三郎の写楽に対する期待を窺うこともできるでしょう。冒頭付近で述べたように、これまでは写楽の「正体」やその作品にばかり焦点が当たってきました。が、写楽の作品を世に送り出したのは重三郎であって、重三郎の役割にももっと焦点が当たっても良いと思います。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002年)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024年)