1970年代に大ヒットした特撮テレビドラマ「人造人間キカイダー」の主演俳優・伴大介は今、78歳にして映画監督に初挑戦している。監督デビュー作「パープルライラック」が4日から6日まで沖縄県宮古島市で開催される「宮古島チャリティー国際映画祭」に出品される。その足跡と共に、「昭和の子どもたちのヒーロー」から「令和の監督転身」に至った経緯、今後に向けた思いなどを聞いた。
明大卒業後に劇団「NLT」の研究生となり、72~73年にNET(現テレビ朝日)系で放送された「人造人間キカイダー」の主人公「ジロー/キカイダー」役に抜てきされ、原作者の漫画家・石ノ森章太郎氏に「伴大介」と命名された。続編の「キカイダー01」も大介名義で途中まで出演したが、「イナズマン」(73~74年)で芸名を「伴直弥」に改めて主演。助演した「バトルフィーバーJ」(79~80年)も同名だったが、キカイダー25周年となる97年に再び「大介」に戻して現在に至る。
俳優としての幅は広い。特撮ヒーローが“A面”だとすれば、同じ70年代に“B面”として東映映画「処女監禁」(77年)で主演した。後に「極道の妻たち」シリーズ(5作)などを手がけた名匠・関本郁夫監督による異色作だ。妄想の中で恋愛感情を抱いた女性を望遠カメラで日夜、窃視した末に監禁するカメラマン助手役を怪演した。
「伴直弥として出たわけだけど、俺がやるとポルノにならないの(笑)。でも、印象に残った現場で、今でも(共演した元女優の)三崎奈美とは連絡を取り合っているし、関本監督や素晴らしいスタッフにも恵まれて、あの作品で芝居の勉強はできましたね」
90年代は「リング」シリーズ4作で“貞子の父”伊熊平八郎が当たり役に。2014年には映画「キカイダー REBOOT」で“古巣”に凱旋した。
そんな役者・伴が映画監督を志したきっかけは、コロナ禍の時期に見た映画「ひとくず」(20年公開)だった。同作に魅了され、監督の上西雄大が主催する映像劇団テンアンツに自ら志願して所属。7月の舞台公演「ひとくず」(4~9日、東京・本多劇場)は宮古島滞在と重なるため、千秋楽のみに出演する。
「上西さんの影響で『自分でやんなきゃいけねぇな』と思ったんです。彼は監督して脚本を書いて役者もやって…と、まさに“ジャパニーズ(日本版)クリント・イーストウッド”。その才能に惚れた。ただ、俺は俺でまた違う世界観、キカイダーの『人造人間』という“大元”があるので、そこに終結させたい、自分の中で整理したい…ということで(初監督作で)『アンドロイド(AI)と人間の共存』を描きました。まさか自分が映画なんて撮れるとは思ってなかったけど、今はお金がなくても映画ができる時代になった。そういう追い風もありました」
「パープルライラック」は「人造人間と人間の女性の恋」がテーマ。ただ「キカイダー」との関連はなく、オマージュ作品でもない。独立した新作だ。喜寿を迎えた昨年にクランクインし、ベテラン女優の高樹澪がヒロインを演じる。既に大阪で上映され、宮古島での映画祭後も新たな上映機会を模索し、DVDも販売予定だ。
伴は「体が動くうち、あと10年はやりたい。既に次作の準備に入ってます。脚本を書いてくれるライターさんもいて、今後も続けていこうと。とにかく体力勝負なので、健康に気をつけてやっていければ」と意気込んだ。
ちなみに「トレーニングは何もしてない」とのこと。改めて健康の秘けつを聞くと、「やりたいことやってるだけ」と破顔一笑。「キカイダーに始まり、キカイダーに終わるんだなと、自分では思ってます。最後までキカイダーですよ、おそらく…」と結んだ。原点に回帰し、己の道を模索していく。