NHK大河ドラマ「べらぼう」第18回は「歌麿よ、見徳は一炊夢」。江戸時代の有名な浮世絵師・喜多川歌麿の登場が描かれました。歌麿を演じるのは俳優の染谷将太さんです。歌麿の生まれ年や出身地などについては諸説あり確定していませんが、文化3年(1806)に54歳で亡くなったことから宝暦3年(1753)に生まれとされていますし、出身地に関しては江戸説が有力です(その他にも京都説や川越説あり)。
年少の頃に狩野派絵師の鳥山石燕に師事した歌麿は当初「豊章」という画号で黄表紙の挿絵などを描いていきます。歌麿の本姓は北川氏であったことから、北川豊章を名乗っていました。名は勇助。歌麿は豊章の後に付けられた画号です。ちなみに歌麿の師・石燕は妖怪画(「百鬼夜行」)を描いたことで有名です。
歌麿の師は前述のように石燕でしたが、師匠同然の人物がおりました。重三郎が製作した多色刷の豪華絵本『青楼美人合姿鏡』(1776年)に絵を描いた浮世絵師・北尾重政です。『古画備考』(江戸時代後期の画家・朝岡興禎による画人伝)の重政の項目に「石燕の弟子、喜多川歌麿ハ、弟子同前也」とあります。石燕の活動は主として絵本が中心、一方、重政は浮世絵も描いたことから、重政の方が浮世絵師・歌麿に大きな影響を与えたのではとも言われています。歌麿は江戸の大手版元・西村屋与八が出す黄表紙に安永年間に挿絵を描いていましたが、次第に西村屋と疎遠になっていきます。
その訳は、西村屋が浮世絵師の鳥居清長(鳥居家4代目当主)の方を歌麿より重用したからだとも言われています。自信家だったとされる歌麿にとりその事はショックだったでしょう。西村屋を去った歌麿が訪れたのが重三郎のもとでした。重政は前述のように重三郎とも歌麿とも知り合いでした(石燕と重政も親交がありました)。よって歌麿の師匠同然というべき重政が、重三郎と歌麿との出会いの橋渡しをしたとしても不思議ではないでしょう。重三郎も有能な新人はウエルカムでしたので、歌麿を喜んで迎え入れたことでしょう。
◇主要参考引用文献一覧 ・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)