NHK大河ドラマ「べらぼう」第10回は「『青楼美人』の見る夢は」。安永5年(1776)1月、蔦屋重三郎は『青楼美人合姿鏡』(以下『青楼美人』と略記することあり)を刊行します。青楼とは吉原遊廓のことを指します。『青楼美人』は、色鮮やかな衣装を纏った遊女らが季節の風物とともに琴や書画・歌・香合などの芸事に興じる様が描かれた絵本です。人気の浮世絵師・北尾重政と勝川春章が描いた絵が載せられていますが、それだけではなく、遊女の発句が下巻に掲載されています。
同書は大本3冊、多色摺の豪華な絵本であり「日本の絵本出版の歴史を語る上で外せない傑作」と絶賛されています。絵本は誕生した当初から墨摺り本という状態が続いていたのですが、明和7年(1770)に彩色摺りの技術が導入され、その歴史が変わったのでした。重三郎が刊行した『青楼美人』のような絵本は過去にもありました。例えば、明和7年に刊行された『絵本青楼美人合』(全5巻、167図。彩色摺り)がそうでしょう。
同書の絵を描いたのは、浮世絵師として著名な鈴木春信です。同書もまた吉原の遊女を描いたものであり、絵の上部には遊女が詠んだ俳諧が添えられています。また遊女は春夏秋冬、四季の風物と共に描かれているのです。同書は、絵本として楽しまれたというだけでなく「実利的」な面もあったと推定されています。吉原遊廓の客が同書を見て、お気に入りの遊女を探すのに活用したとも言われているのです。
つまり『絵本青楼美人合』は「吉原細見」(吉原遊廓の総合情報誌)や「遊女評判記」の役割も果たしていたということです。蔦屋重三郎が刊行した『青楼美人合姿鏡』は『絵本青楼美人合』の影響を受けていると言われています(俳諧を載せているところや、図様など)。重三郎が刊行した『青楼美人合姿鏡』もまた『絵本青楼美人合』と同じように、吉原遊廓の客に活用されたと筆者は推測しています。
さて今回は遊女・瀬川が鳥山検校に身請けされるという事で、最後の「花魁道中」が描かれていました。花魁道中とは高級な遊女が客に呼ばれて揚屋入りする行列の事です。最初は簡素なものでしたが、次第に豪華になっていきました。遊女の衣装が美しいのは言うまでもありませんが、異色とされたのは遊女の髪飾りと下駄と歩き方です。髪には12本もの簪(かんざし)がさされ、足には大きな駒下駄が履かれました。
そして「べらぼう」を観ていたら分かるように瀬川は不思議な歩き方をしていました。その歩き方は「八文字の踏み方」と言われるもので、腰を据えて八の字型に足を繰り出す歩き方です。「内八文字」(爪先を内側に向けてハの字を作る)、「外八文字」(爪先を外側に向けて逆ハの字を作る)の2種類があり、前者は京都島原で、吉原では後者がよく行われました。
◇主要参考文献一覧 ・小野武雄『吉原・島原』(教育社、1978年)・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002年)・岩城一美「青楼絵本考ー『吉原青楼年中行事』の出版効果ー」(『東洋大学大学院紀要』53、2016年)・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024年)