元アイドルが酒店オーナーに転身した理由 元NMB48高野祐衣「アイドルは合っていなかった」

中江 寿 中江 寿
元NMB48・高野祐衣
元NMB48・高野祐衣

 元NMB48の高野祐衣がこのほど、大阪市内でよろず~ニュースの取材に応じた。2015年にNMB48を卒業後、タレント活動中に日本酒の良さにはまり、現在は東京・浅草で「ゆい酒店」を経営。日本酒の普及に努める彼女が、アイドル時代、今後の目標などについて語った。

 NMB48を卒業後にタレント活動を始め、何か自分にキャラクターをつける必要があると考えたときに、日本酒と出会った。「タレントとして頑張るための武器をいろいろ探していたんですけど、自分の性格上、好きなことしか発信できない、仕事につなげられない。そして〝お酒だ!〟になったんですよね」。もともと大のお酒好き。お酒の勉強を始めようと思ったところ、仕事で行った新潟県で日本酒の大イベントに携わったり、酒蔵の見学をしたりしているうちに思いが強くなってきた。

 同じ頃、都内の居酒屋でも衝撃的を受けた。「本当に概念が180度変わるような日本酒をどんどん出してくれて。こんなにジューシーで、甘酸っぱくて、おいしいんだろうと。いろいろなお酒を飲んで、感想とかを書き留めているうちに、勉強がしたくなって」。2018年に唎酒師、2020年にSAKE DIPLOMA(酒ディプロマ)の資格を取得した。

 本格的に日本酒の世界へ足を踏み入れていった。芸能活動を続けるも2021年10所属事務所を退社すると、翌11月には「株式会社ゆい酒店」を設立。22年7月には東京・浅草に「ゆい酒店」1号店をオープンさせた。「芸能活動を10年やって、セカンドキャリアのことは本当に考えていましたし…。日本酒の資格は取りましたけど、思い描くような活動というのは、満足に行っていなかったので。転身して日本酒のビジネスをやってみたいとは思いましたね」。将来を見据えて、好きなことをしようと決意した。

 元アイドルが酒屋をオープンさせると言うことで注目は集まった。「ありがたいことに、日本酒の銘柄も今ほどたくさん持っていたわけではないのに、たくさんの方が来てくださって。それをいかにキープするとかも大事で」。大きな飲食店に卸しているわけでもなく、利益を出す難しさを痛感した。日本酒も思うように集められず、経営者としての苦労を味わった。それでも、徐々に経営が軌道に乗り、10種類ほどだった銘柄も現在は80種類ほどに増えた。

 アイドル時代の経験が大いに役立っている。「何を生かせたかって言われると、コミュニケーション能力と発想力とかですかね。握手会や人前に立ってMCをする、コンサートとか」。客に対するアプローチ、取引先に多い年配の男性とのやりとり。知らないうちに培われていると実感している。

 ただ、当時を振り返ると何か違和感があった。「順位をつけられる仕事だったので、そういうのはあんまり…。負けず嫌いではあるんですけど、(感情を)表に出すのは苦手な性格で、前に出たいと思われるのが嫌で。〝こっち見て!〟とか。自分にアイドルは合っていなかったと思います」。握手会でのファンが並ぶ行列の長さの違い、選抜メンバーに選ばれるかどうか…。グルーブ内での人気の差が目の前で分かってしまう。「よくやっていたと思いますけど、そういう経験をしたからこそ、あまり物おじしないとか、いろいろと役に立っています」と前向きに捉えている。

 経営者、個人としての目標がある。3月には酒屋と同じ浅草に飲食店をオープンさせる。「酒屋を経営して3年からが勝負だと思うので、ちゃんと思い描いたような飲食店を繁盛というか、日本酒の聖地みたいな場所にしていきたいなと。高野祐衣としては日本酒の普及活動、業界を盛り上げていきたいですね」。11日には12時から17日まで大阪・YES NAMBA広場で自身がプロデュースした日本酒「DB-69 Paragraph y(U)i 2024」発売イベントを開催。現在はよしもと文化人所属として活動も行っている。日本酒を愛する元アイドルが、自分の描いた道を突き進む。

 ◆高野 祐衣(たかの・ゆい)1993年12月6日生まれ、大阪府出身。2011年にNMB48に加入、2015年に同グループを卒業後、タレントとして芸能活動を続けるも、2021年10月1日の「日本酒の日」に、10年間所属していた芸能事務所を退社。同年11月、「株式会社ゆい酒店」を設立して代表取締役に就任。2022年7月浅草に「ゆい酒店」1号店をオープン。2025年3月には初の飲食店となる『yuito.』を同じく浅草にオープン予定。現在は、同店のオーナーをメインに、よしもと文化人所属としての活動も行う。

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