「ドラえもん」大山のぶ代さんのアルカノイド伝説 超絶プレー動画から愛機寄贈までを知る当事者に直撃

山本 鋼平 山本 鋼平
 大山のぶ代さん(2006年撮影)
 大山のぶ代さん(2006年撮影)

 声優・俳優の大山のぶ代(本名・山下羨代=やました・のぶよ)さんが9月29日に老衰のため90歳で死去した。1979年からテレビ朝日系で放送されたアニメ「ドラえもん」で、主人公のドラえもんの声を05年に勇退するまで担当した大山さんは、アーケード用ゲーム「アルカノイド」の達人として知られていた。10月11日に訃報が伝えられた際は「アルカノイド」がSNSのトレンドワードに浮上。大山さんがプレーした筐体は現在、東京・高田馬場ゲームセンター「ゲーセンミカド」から徒歩2分の系列店「ゲーセンミカド×ナツゲーミュージアム in 白鳥会館」で稼働中。店長の池田稔さん、伝説のプレー動画を最初に制作したゲーム関連プロデューサーの辻坂健次さんに話を聞いた。

 取材日は平日の昼下がりにもかかわらず、大山さんの“愛機”をプレーする人や撮影を行う来場者がいた。筐体にはドラえもんのイラストとともに、大山さんから寄贈されたことを説明するプレートが掲げられている。池田店長は「大山さんの訃報が伝えられてから、たくさんの方にプレーしていただいています。画像をSNSに投稿される方も多いようです」と語った。

 「アルカノイド」はタイトーが86年に発売したアーケード用ゲームで、ボールを画面上部のブロックに当てて消していく「ブロック崩し」の進化版。「スピードダウン」「キャッチ」などのアイテムが特徴で、シリーズ化されファミリーコンピュータなどにも移植された。

 大山さんがアルカノイドの達人であることが、世に知られるきっかけは06年。当時、東京のゲームマニアの間では、大山さんが西新宿のゲームセンター「新宿スポーツランド」で毎晩のようにアルカノイドをプレーしており、尋常ではない腕前であることが有名だった。池田店長は「ゲームにはハイスコアが残るので、大山さんがどれくらい上手なのか僕らには分かるんです。ワンコインクリアどころではなかったですね。120万点いくと『やべえな』っていうレベルですけど、余裕で120万点を超えていた。全国トップレベルですよ」と回想した。池田店長によると大山さんの最高スコアは127万点で、当時のゲーム専門誌に掲載された全国トップが130万点だったという。

 その頃、辻坂さんはゲームサウンドCD「レジェンドオブゲームミュージック2 プラチナムBOX[8CD+2DVD]<完全生産限定盤>」のディレクション担当だった。特典DVDに「大山さんを呼んでプレー動画を撮影しよう」と思いついたという。所属事務所に「声優」ではなく「ゲーマー」として出演依頼を行い、破格の出演料に収まった。撮影にはアーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」の著名ライターで、アルカノイドのトップゲーマーの山河悠里氏も同席し、大山さんの腕前に驚いていたという。

 CD発売後、大山さんのDVD動画がテレビ関係者の目に留まり、同年にフジテレビ系「トリビアの泉」で紹介された。大山さんが出演し、実際にプレーして全面クリアする腕前を披露。なお、アーケードゲーム動画をテレビ放送に美しく反映させるには独自の技術が必要だったため、大山さんがアルカノイド関連でテレビ出演する度に、辻坂さんが放送に関わったという。最初の撮影時に大山さんが関心を示したアーケード筐体を譲渡し、2007年4月に山梨県の別荘に設置したのも辻坂さんだった。

 辻坂さんは「印象的なのは全身がドラえもんだったことです。耳飾り、イヤリングがドラえもん。PHS(携帯電話)は『ドラえホン』(ドラえもんの形の電話機)でした。サービス精神が旺盛で、ゲームセンターでも、打ち合わせの喫茶店でもお客さんにサインを求められると気軽に応じていました。アルカノイドの撮影中にアイテムが出ると、打ち合わせになかったのに『レーザー!』とか“ドラえもんの声”を出してくれましたね」と振り返った。大山さんは麻雀にも凝っており、別荘には麻雀専門部屋が設置されていた。「大山さんから『持ち運び式の全自動麻雀卓はないかしら?』とお願いされたこともあります。僕のことを遊具担当者と勘違いされたのかもしれません」と笑った。

 そして2014年8月、担当マネジャーから連絡があった。山梨の別荘を引き払うといい、アルカノイド筐体が寄贈されることになった。その活用先として「ゲーセンミカド」が挙がり、辻坂さんは池田店長と山梨に引き取りに向かった。引き上げる際に大山さんの夫、砂川啓介さん(2017年死去)に呼び止められた。「『ペコ(大山さんの愛称)が起きてきたから』と言われて、大山さんと挨拶しました。会うことができたのは、それが最後でしたね」と振り返った。

 ほどなく、ゲーセンミカドでアルカノイドの稼働を開始。大山さんから直筆のサイン色紙も届けられた。池田店長は「1週間ほどはサインを筐体の上に飾っていました。不穏な予感があったので、サインはコピーしたものに変えたのですが、3~4回は盗難被害にあいました」と苦笑い。それでも「奇跡的に、この10年、故障が一度もない。ずっとお客さんが遊んでくれるので、ありがたいです。不思議なパワーを感じます」と感謝を口にした。「3年前に白鳥(ナツゲーミカド)ができたとき、目玉として移設しました。ミカドがある限り稼働させ続けたいですね」と、決意を新たにした。

 関係者を通じて、大山さんが元気にしていると聞かされていた辻坂さん。「急なことだったので、ただただ寂しいです。大山さんがドラえもんだったことを知らない方も増えてきていると思いますけど、アルカノイドをプレーすることで、大山さんをしのんでほしい」と話していた。

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