1970年代を代表する青春ドラマの一つ「ゆうひが丘の総理大臣」は78年10月11日に初回が放送された。教師役で主演した中村雅俊(73)の「芸能生活50周年記念公演」が今年6月に東京・明治座で行われ、最終日には同作で生徒を演じた俳優たちが同窓会的に集まる一幕も。その1人である清水昭博(66)が放送開始から46年となった日を受け、当時のエピソードや共演者について思いを語った。
「ゆうひが丘の総理大臣」は週刊少年チャンピオン(秋田書店)で77年から80年まで連載された望月あきらの漫画が原作。中村主演の日本テレビ系青春学園ドラマとしては「われら青春!」(74年)、「青春ド真ん中!」(78年)の流れを汲む作品で、79年10月10まで40話が放映された。
舞台は原作の中学から高校に変更され、中村は「ソーリ」というあだ名の教師・大岩雄二郎を演じた。放送開始当時20歳だった清水は生徒役でレギュラー出演。今年、中村の記念公演には同じ生徒役で、1歳下の井上純一、放送初年度は高校1年だった小川菜摘(当時は旧姓の本名・島村聖名子で出演)と再会した〟
「今でも『山川平作さんですよね』って役名で声かけられこともあるんですよ」という清水。「純一は頭も顔も良く、人気もあって僕は嫉妬してました。それなのに、あんなバカなことを…(今年7月、酒気帯び運転の疑いで任意聴取)。堀越学園で2学年下だった草川祐馬とも仲が良くて、話によると、純一、祐馬と俺の3人で『ゆうひが丘~』は回っていくはずだったんだけど、祐馬の(第9話から)病気降板もあって、先生たち(由美かおる、神田正輝ら)のエピソードが増えたということです」と語る。
小川については「今でも俺は『聖名子(みなこ)』と呼ぶんだけど、当時はまだ15歳で〝子ども〟だったから『お前としゃべると〝ブヒブヒ〟しか聞こえないよ』って、からかう感じでした。堀越の後輩でもある藤谷美和子とはよく話したけど、今でも会える女子生徒役は聖名子だけ。今回も彼女が雅俊さんとの場を設けてくれました」と明かした。
その中村との縁は今年で半世紀になる。中村の初主演ドラマ「われら青春!」にも清水は生徒役で出演していた。
「(同作の挿入歌)『ふれあい』をテープで初めて聞かせたもらった時、俺は『こんな暗い歌、ダメなんじゃないですか』って言ったら、すごい売れたんですよ。あの時は失礼なこと言っちゃったけど、今年お会いした後、聖名子から『雅俊さん、喜んでましたよ』と聞かされて『よかったな』と。俺の中では『ゆうひが丘~』の雅俊さんが一番よかった。『われら青春!』の時はまだ誰が主役なのか分からない感じで、撮影帰りのロケバスでスタッフみんなが酒を飲む中、雅俊さんは主演俳優なのに新人だから毎日その場で飲まされたり、歌わされて、えらいと思いました。マジメな人だから、今の姿がある」
そうした中村の姿を胸に刻み、現在も俳優として活躍する清水だが、2020年にはコロナ感染で生死の境をさまよったという。
「大学病院に入院して2週間チューブを付けていた。円盤の中にいる感覚で、周りをETが歩いていると思ったら看護師さんだった。夢の中で娘と一緒に花見に行くと、そこに橋があって渡ろうとしたら、すごく混んでいるので『待ってるのはめんどくさい』と帰った。その話を後にお坊さんに伝えたら『それは三途の川だったんですよ』と…。僕がせっかちじゃなく、並んで橋を渡っていたら、帰って来れなかったかもしれない」
意識が変わった。「今年の12月で67歳になるんですけど、まだ落ち着いている場合じゃないと。娘が19歳になって、子育ても終わったので、これからは最後まで俺の生き方をしていこうと」。若き日の学園ドラマの思い出から、シニア時代の余生に向けて前を向いた。