NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回は「中宮の涙」。藤原道長が娘である中宮・彰子の懐妊祈願のため、御嶽(金峯山。現在の奈良県吉野郡)詣に向かう様が描かれました。そして、ライバル・藤原伊周が御嶽に向かう道長を武者を引き連れ、襲撃しようとする不穏な動きも描写されていました。
道長は、寛弘4年(1007)8月、御嶽詣を行いますが(8月2日に都を出て、同月11日に金峯山寺に到着)、その頃、伊周にまつわる不穏な噂が都で流れていたとのこと。伊周とその弟・藤原隆家が平致頼と語らい、左大臣(道長)を殺害しようと欲したというのです(平安時代中期の公卿・藤原実資の日記『小右記』の目録『小記目録』)。
実際のところ、伊周の暗い「願望」が本当だったか否かは分かりませんが、『大鏡』(平安時代後期の歴史物語)にも、伊周に不穏な企てがあるとする噂が流れていたと記載されています。噂を聞いた道長方は警戒していたようですが、何事もなく、都に帰りつきました。
一方、伊周の方にも「伊周様が道長様を襲撃しようとするとの噂が、道長様の耳に入ったようです」というような報告をする者がいたようで、慌てた伊周は道長に無実の釈明を行います。対面した2人。道長は伊周に御嶽詣の道中の話などをしますが、その最中、伊周はとてもオドオドしていたとのこと。
道長はそれをおかしくも気の毒に感じ「久しく双六(すごろく)をしていないので、やりませんか」と提案。伊周もそれに応じます。双六の用意をする間に、伊周の態度も落ち着きを見せたようです。『大鏡』は伊周を懇切にもてなした道長を同情のある人柄としています。思いやりのある性格だったということです。道長も伊周も大の双六好きで、着物まで脱いで、明け方まで熱中したのでした。
しかし、勝負の結果は、いつも伊周の負けだったようです(『大鏡』)。この逸話から分かることは『大鏡』は道長を大人物、伊周を小人に描いているということでしょう。諸書を見るに、伊周による道長襲撃は、噂に過ぎなかったと思われます。
◇主要参考文献一覧 ・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)