1980年代末期から90年代初期までの日本は「人面〇〇ブーム」であった。この時代に少年時代(少女時代)を送っていた方々は「人面犬を見た」ないしは「人面魚が現れた」というテレビニュースや街の噂を一度くらいは聞いた事があると思う。
そんな「人面ブーム」だが、過渡期に入ると犬や魚だけではなく様々な「人面―」が多数誕生していた。人面蜘蛛、人面蛾は言うに及ばず、人面石や人面壁といった無機物にも次々と人間の顔が現れていた。そして「人面ブーム」は、まさかの「政治」にも影響を与えていたという。
朝日新聞1990年(平成2年)9月11日号によると「ブームに便乗、人面木騒動」という記事が掲載されていた。記事によると、千葉県八千代市の住宅街の近くにある萱田第2号公園で「枝の切り口が人間の顔に見える」という「人面木」が話題になった。この時期はちょうど「人面ブーム」の最中という事もありテレビ番組でも紹介されたという。
人面木は連日多くの見物客が現れるようになり、やがて人面木はいつしか地元の信仰を集め、しめ縄と小さな賽銭箱が置かれ「ゆりの木観音」との別名も持ちはじめた。ところが、信仰を集めると「この人気を利用しよう」と考える人も出てきた。人面木の近くにあった小さい賽銭箱はいつの間にか撤去されており、その代わりに八千代市の某市議の名前の入った大きな賽銭箱が置かれはじめたのだ。これは某市議が会長を勤める商店会が人面木を中心とした町興しのために寄贈したものだった。
だが、この大きな賽銭箱に「物言い」が付いた。賽銭箱が設置された時期は市議選挙の直前だったという事もあり「人面木の人気を利用した政治活動ではないか」と選挙管理委員会より注意が入ったのだ。数日後、市議は「(業者に頼んだので」名前入りとは知らなかった」として賽銭箱に書かれた名前を塗り潰して関係者に謝罪。この一連の流れが「人面木を巡る珍事件」としてニュースになってしまったのだという。
事件から30年余り。政治活動にも利用された「人面木」は今どうなっているのか、記者はかつて人面木があったとされる公園へ向かった。だが、木に巻かれていたしめ縄も賽銭箱も今はなく、どの木が人面木だったのか見当がつかない。
公園近くの住民に話を聞いたところ、「人面木は確かにあの公園にあったよ」「テレビで取り上げられたかは覚えてないけど、確かにたくさんの人が来ていたよ」「賽銭箱の件は覚えてないけど木は間違いなくあった」「人面木はジンメンキではなくジンメンボクと呼んでいた」といった声を集めることができた。
だが、肝心の「人面木」が現在の公園のどの辺りにあったのか、覚えている人に会う事はできなかった。「公園の中央側だったと思う」「入口近くだったはず」「忘れてしまった」と皆証言がバラバラであり、不思議と皆「人面木と呼ばれる木があった」以外の記憶が綺麗さっぱりと消えてしまっているようであった。
1990年、千葉県八千代市に「人面木」は確かに存在した。だが、人面犬や人面魚と同じようにブーム終焉ともに歴史から姿を消してしまったようだ。
【参考文献】朝日新聞1990年9月11日号