桂ざこばさん 立川談志さんに高座で激怒 米朝師匠への“不義理”許せず 渡邊寧久さん明かす

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 桂ざこばさん
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 落語家の桂ざこば(かつら・ざこば、本名・関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、喘息(ぜんそく)のため大阪府の自宅で死去した。76歳。大阪市出身。所属する米朝事務所が公表した。通夜・葬儀は故人、家族の意向で家族葬として営まれ、後日、お別れの会を行う予定。長年、上方落語界を支え、お茶の間でも人気を博した重鎮の、あまりにも突然の旅立ちに各界にショックが広がった。演芸評論家の渡邉寧久氏がデイリースポーツでざこばさんを悼んだ。

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 最初はしゃれかな、と思ったが、そうじゃなかった。高座で桂ざこば師匠が、けんか腰で罵詈雑言を浴びせかけたのだ。舌鋒の血祭りにあげられたのは、あの立川談志。

 談志師匠は出演しなかったが、確か一門のどなたかの、東京は有楽町で行われた会での出来事だった。「なんやあの人は!」「東京ではしょっちゅうしてるらしいけど、うちの師匠の会を無断で休むなんてありえへん」。紅潮したままざこば師匠は、落語をやらずに高座を降りた。

 怒りの源は、1995年11月11、12日に大阪府池田市で行われた「米朝・談志二人会」にあった。2日目を談志師匠が連絡もせず抜いた(=欠席)のだ。

 「15歳で弟子入りした米朝師匠のことをお父さんのように思っていた」(在阪演芸関係者)というざこば師匠は、米朝師匠の顔に泥を塗った談志師匠をどうにも許せなかった。何事に対しても白黒はっきり言う性格で、師匠の気持ちを代弁した形だ。ちなみにその夜、談志師匠の代演を務めたのは他ならぬざこば師匠だった。

 米朝・談志両師匠はその後15年にわたり疎遠になっていたが、談志師匠が亡くなる1年前(2010年11月)、米朝師匠の自宅を訪問し雪解け。和解の酒を酌み交わしたという。

 全国区の上方落語家だが、当初のざこば師匠はテレビでメディアで売れた印象が強かった。落語も頻繁にしゃべっていたが、落語家としての評価は「無冠の帝王」だった。16年、文化庁芸術選奨文部科学大臣賞を受章した。奇妙な筋の、あまりやり手のない落語「肝つぶし」が評価されてのもの。当時、何席かざこば師匠のネタを意識的に耳にしたが、米朝仕込みの繊細さとざこば流大胆が混在した芸で、高評価も当然だった。

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