ラッパーのブラザー・マーキスが死去した。58歳だった。
マーキスが所属していたヒップホップグループ、ツー・ライヴ・クルー(2 Live Crew)のインスタグラムに「ツー・ライヴ・クルーのブラザー・マーキスことマーク・ロスが亡くなった」と綴られている。一方、同グループのマネージャーもTMZにマーキスの訃報を明かすも、死因や経緯についての詳細は不明、TMZは「直接知っている情報筋は自然な死のようだったとし、事件性はないと話しています」と伝えている。
マーキスの前には2017年に同グループの共同創設者のフレッシュ・キッド・アイスが帰らぬ人となっていた。
マーク・D・ロスとして誕生したマーキスは、同グループを代表する多くのアルバムに参加、1989年リリースの問題作『アズ・ナスティ・アズ・ゼイ・ウォナ・ビー』は当時猥褻と非難され、翌年にマーキスは逮捕されてもいた。
ニューヨークのローチェスター生まれで10代の時に家族とロサンゼルスに移住したマーキス、ザ・コーシャス・クルーとして行ったパフォーマンスやラップバトルがツー・ライヴ・クルーのDJ、ミスター・ミックスの目に留まり、1986年のデビューアルバム『ザ・ツー・ライヴ・クルー・イズ・ホワット・ウィー・アー』に参加した。同アルバムはリリースから1年で、ビルボードのR&B/ヒップホップアルバムチャートで最高24位を記録。ドラムマシーンと重低音、アメリカのラジオ局で禁止となった猥褻なリリックが特徴となっているマイアミのヒップホップスタイルの代表作とされており、また物議を醸したアルバム『アズ・ナスティ・アズ・ゼイ・ウォナ・ビー』はビルボード200で29位に、200万枚以上を売り上げダブルプラチナを獲得した。
一方、シングル『ミー・ソー・ホーニー』は、スタンリー・キューブリックのベトナム戦争を描いた映画『フル・メタル・ジャケット』でベトナムの売春婦がアメリカ兵士からお金を得ようとする際に発した台詞がサンプリングされている。