NHK大河ドラマ「光る君へ」第22回は「越前の出会い」。藤原道長のもう1人の妻である源明子(瀧内公美)が妖艶な姿を見せ、道長と口付けをかわしていました。道長の正室は、左大臣であった源雅信の娘・倫子であり、明子は妻妾でした。明子は醍醐天皇の孫であり、父は左大臣・源高明という輝かしい出自の女性。
しかし、明子が五歳の頃、悲劇が訪れます。父・高明が太宰権帥に左遷されてしまうのです。安和2年(969)、安和の変です。藤原氏による他氏排斥の1つでした。父の失脚により、明子は叔父・盛明親王(醍醐天皇の皇子)の養女となります。親王亡き後、明子は藤原詮子(道長の姉)の庇護を受けることになるのでした。この流れから見て、道長と明子が結ばれたのも、詮子の縁が濃厚と思われます。
『栄花物語』(平安時代の歴史物語)によると、道長の兄・藤原道隆が明子に惚れ込み、言い寄っていたそうです。『大鏡』(平安時代後期に成立した歴史物語)でも、明子は道隆や道兼(道隆の弟)から言い寄られていたと記載されています。大人気の明子ですが、道隆や道兼の恋慕を制止したのが、詮子でした。詮子は弟の道長のみに明子のもとに通うことを許し、その結果、2人は結ばれたのです。
明子は道長と結婚して後、4人の男子と2人の女子を産んでいます(倫子も道長の子を6人産んでいます)。道長は正室の倫子と先に結婚したと考えられますが、一説には明子の方が先だったとの説もあります。それはさておき、前述したように、道長の正室は倫子であり、明子は妻妾。子供たちの出世にもその事は影響し、明確な差が付けられていました。
例えば倫子の産んだ頼通は関白となっていますが、明子の子・頼宗は右大臣でした。また、明子は道長と同居していませんでしたので、道長の日記『御堂関白記』の登場回数も倫子と比べて著しく少ないものでした。そうであったとしても、息子が右大臣にまでなり、自身も85歳の長寿を全うしたのですから、幸せな生涯だったというべきでしょう。ちなみに、正室の倫子は90歳という当時としては驚くべき長寿でした。