「マンガの神様」と称される手塚治虫(1928-89)が平成の幕開けと共に60歳で他界してから今年で35年になる。その作品は世界各国で読まれているが、国内ではコロナ禍からの数年間にも超レア作品を復刻した単行本が続々と発売されている。16日には、本人がペンとインクで手書きした創作ノートや幻の作品などを初めて単行本に収録した「手塚治虫キャラクター名鑑」(玄光社)が出版された。膨大な原稿や資料を保管している「手塚プロダクション」(以下・手塚プロ)のスタジオ(埼玉県)に足を運び、現場スタッフに話を聞いた。(文中一部敬称略)
ヒョウタンツギやヒゲオヤジなど、手塚作品には多彩なキャラクターが登場し、それぞれが複数作品で別キャラクターとして描き分けられる。手塚はキャラクターを俳優に見立て、数ある自身の〝監督作品〟に配役していた。それはハリウッド映画における「スター・システム」を意識したもので、ある作品で主人公だったキャラが別作品では敵役や脇役で登場する。
また、手塚は大学ノートに各キャラの詳細なプロフィールと出演作、所属事務所やギャラまでも遊び心で書き込んでいた。さらには「赤本」(※描き下ろしを中心とした貸本漫画)時代の自作にツッコミを入れるメモも。そういった手書きノートが今回初めて単行本の中に収録された。
その現物を拝見した時、「これはノートを元にした印刷物」だと思ったが、手塚プロ資料開発部参与の田中創氏は「いえ、実物の肉筆です。普通の大学ノートに書かれています」という。読みやすい字体、1行当たりの文字数もそろっていて、下書きなしでも、線を引いたように各行が斜めにもならず、行間も整然と保たれている。その完成度の高さから、いずれ世に出て広く読まれることを想定して書いていたのかと思ったが、田中氏は「いえ、それはないと思います。趣味で書いたのでしょう」と推測した。
このノートが書かれた時期について、田中氏は「まだ宝塚におられた頃です」という。兵庫県宝塚市から東京に移住する1952年以前となると、「ロストワールド」(48年)、「メトロポリス」(49年)、「来るべき世界」(51年)といった初期のSF3部作やゲーテ作品を題材にした「ファウスト」(51年)を描いていた時代。それから70年以上の時を超え、本人も考えてはいなかったであろう大学ノートの内容が公になる。
もう一つの注目点は、名脇役「ヒゲオヤジ」(本名・伴俊作)の名を冠した唯一の作品「伴俊作まかり通る」(61年)の初単行本化だ。田中氏は「掲載誌がつぶれて3回で終わってしまったんですけど。その3回が載っています」と説明。ほかにも、初期から晩年までの主要作品の登場キャラを総覧できるコーナー、未公開の原稿やネームなど貴重な画稿が収録されている。
田中氏は「キャラクター図鑑的な本はこれまで何冊か出たことはあるんですけど、ここまで詳しいのはなかったです」と語る。
今作だけでなく、こうしたレア作品の発掘が近年続いている。20年には手塚が17歳時の漫画家デビュー作である4コマ新聞連載「マアチャンの日記帳」(46年)などを収録した「手塚治虫アーリーワークス」、新聞連載漫画を発表時と同じ大判横長サイズで当時の手書き文字のまま初単行本化した「手塚治虫コミックストリップス」、幼少時に描いた作品をまとめた「ママー探偵物語」(いずれも888ブックス)、23年には赤本時代の名作「魔法屋敷」、幻の掲載回を復活させた「ミッドナイト ロストエピソード」と「ブラック・ジャック ミッシング・ピーシズ」(いずれも立東舎)、風刺と艶笑譚(たん)にあふれた大人向け作品を集めた「手塚治虫大人漫画大全」(国書刊行会)などが出版された。
紙の書籍が厳しい時代にあって、今なお復刻本の出版が続く手塚作品。一連の作品に関わったアンソロジスト(編集者、ライター)の濱田髙志氏は「会社としてしっかり原稿を保管されていること、ファンの方からも掲載誌などが寄贈されて資料が集まってくること、受け皿となる出版社がちゃんと本を出してくれていることが大きい」とした上で、「質ももちろん、圧倒的な量ですよね。発掘された作品にも風化しない強度があり、今の漫画に見劣りしない。今回のキャラクター名鑑も究極のお宝です」と指摘した。
手塚プロの資料室にはどのくらいの「量」が保管されているのだろうか。田中氏は「原稿はおよそ8万枚あります」と明かした。まさに「漫画界の巨人」。無尽蔵な懐(ふところ)の深さを感じた。