NHK大河ドラマ「光る君へ」第10回は「月夜の陰謀」。花山天皇が藤原兼家の策略により、退位に追い込まれる様が描かれていました。平安時代後期の歴史物語『大鏡』(以下、同書)には、花山天皇の出家にまつわる逸話が記されています。時は、寛和2年(986)6月23日の夜、花山天皇(以下、天皇と記す)が人々の知らぬ間に密かに「花山」(元慶寺=京都市山科区北花山河原町にある寺院)に赴かれ出家してしまうという事件が起こります。
天皇はこの時、19歳でした。同書には、直前になりご出家を躊躇われる天皇の姿が描かれています。その夜は月が煌々と輝いていたので、密かに「藤壺の上の御局」(内裏で后・女御・更衣が清涼殿内にたまわる部屋の一つ)から花山に脱け出そうとしていた天皇は「これでは目立つ。どうしたものか」と側に侍っていた藤原道兼(藤原兼家の子)にお尋ねになります。
天皇の出家への決心が揺らいでは大変と感じた道兼は「神璽も宝剣も既に東宮(皇太子の宮殿)にお遷ししました。今更、見合わせるのは」と天皇を急かします。同書によると、道兼は事前に自ら神器を取って、東宮に運ぶ手筈をしていたのでした。道兼の回答を聞いて「仕方ない」と思った天皇は、歩みを進められます。
すると、今度は、寵愛していた女御・藤原忯子(985年7月、妊娠中に死去)の手紙を置き忘れていることに気が付かれます。手紙を取りに戻ろうとする天皇に、道兼は泣きながら「どうしてそのようなお心持ちになられたか。この好機を逃されては」と説得。天皇を花山に入れることに成功するのです。
御髪を下ろされた天皇を見た道兼は「少しお時間を頂いて、父の兼家に私の変わらぬ姿を見せ、ご出家のお供をすると申し上げてから、またここに参ります」と言上。道兼は日頃から「帝の弟子になり、お側を離れることはありませぬ」と申し上げていたようです。ですので、天皇は日頃の言動と異なる道兼の言葉を聞いて「朕(私)を騙したな」とお嘆きになられたのでした。
しかし、もう後の祭りです。道兼の父・兼家も天皇が何か企みはせぬかと警戒して、護衛の武者共を副えていました。『大鏡』には、花山天皇の出家事件に、藤原氏の策謀があったことを記しているのです。