兵庫県明石市の前市長で弁護士の泉房穂氏(60)が29日までに更新したX(旧ツイッター)で元衆議院議員・石井紘基氏について言及した。泉氏は今月2日に都内で開催された石井氏の没後21年追悼イベントで恩師が創設を目指した「国民会計検査院」などについて語っていた。このX投稿を踏まえ、会場で取材した内容をリポートする。
泉氏は27日付のX投稿で、岸田内閣の支持率が政権発足以降最低の26・1%になった(ANN世論調査)との報道を引用した上で、国債発行についての質問の選択肢が「財政再建を優先すべき」か「財政悪化はやむを得ない」の2択だったことに「そうじゃない。〝財政悪化〟なんて嘘で、本当は〝お金の使い道が間違っているだけ〟だ」と指摘した。
さらに、同氏はフォロワーからの「定期的に行政発の施策の妥当性を監査する独立機関があれば」という意見を受け、「それを創ろうとしていたのが、我が恩師『石井紘基さん』です。国の『会計検査院』にも限界があるとして、国民主体の『国民会計検査院』を新たに創るべく準備をしておられました。その途中、殺されてしまったのです」と連続投稿した。
石井氏は2002年10月25日に都内の自宅駐車場で刺殺された。61歳だった。翌日に出頭して逮捕された男(無期懲役で判決確定)が主張した〝金銭トラブル〟などの動機については当時から疑問視されていた。石井氏は同28日に予定されていた国会質問を前に「これで与党の連中がひっくり返る」と発言していたという。提出書類の入った鞄を持つ石井氏の左中指が切断されていたことも報じられており、その書類は現在も見つかっていない。
2日に東京・新宿ロフトプラスワンで開催された追悼イベントで、泉氏は事件について説明した。
「『命』以上に『資料』を狙ったと報道されています。その直前に石井さんが『国家が転覆するくらいの事件を見つけた』と言っていたことも事実です。その後、テレビのドキュメンタリー番組で刑務所にいる犯人の取材の中で『お金をもらって頼まれて殺したが、頼んだ人の名前は言えない』という証言がニュースになった。その信ぴょう性はともかく、私の理解としては単純な事件ではなく、背景にかなりの事情がある」
その上で、泉氏は「石井さんは『国民が主人公の社会を作る必要がある』という強い使命感を持っておられた。官僚が仕切っている国で『国民会計検査院』を作って、国家の闇を公にしなければいけないと。石井さんは殺される少し前に友人に手紙を書いていた。『自分のやろうとすることをしてしまうと、自分の命も危ない』。そう、自覚しておられた。それでも自分の命を懸けて役割を果たそうと。生き急いでいるとも思いました」と回顧した。
イベントには石井氏の長女・ターニャさんがゲスト出演した。
ターニャさんは「政治の世界に行くかどうかも考えましたが、そうすることで父を悲しませてしまうことになるのではないかと自問自答し、悩みました。同じ土俵ではないところで生きていく形もあるのではと。今は農業をやっています」と語り、泉氏は「ターニャさんが出なかったから、私が1年後の(国政)選挙に出させていただくという気持ちになったのは正直なところです」と振り返った。
泉氏は石井氏の遺志を継いで03年に兵庫2区から民主党公認で出馬して衆議院議員に。11年に無所属で出馬した明石市長選で民主・自民推薦の候補を69票差で破って初当選し、以来、今年4月まで12年間に渡って同市長を務めた。
泉氏は「石井さんが追及したのは、国民が一生懸命働いて負担したお金がどこに消えているのかということ。誰がどう使っているのか分からない状況になっていることが問題だと。私は市長時代の最後の2年間、兵庫県治水防災協会の会長として、県内41市町の関連予算要望の際に東京で国土交通省や財務省の役人に頭を下げる役回りをやったが、びっくりしたのは予算要望なのに金額もスケジュールも書かさないこと。ある意味、官僚は税金の無駄遣いを競争しているかのような状況にあることを明石市長の12年間で感じた」という。
「石井さんが投げかけた問題は現在進行形。孤立無援の中、あまりにも正義感の強い人でした。『困っている人を助けたい』と、地下鉄サリン事件の被害者救済に走り、私も石井さんの遺志を継いで犯罪被害者の救済をしています。石井さんが目指した世界は『普通の庶民が主人公の政治』。座右の銘は『不惜身命(ふしゃしんみょう)』。世のため人のために自分の命を捨ててでも役割を果たすこと。市民が主人公の社会を作ることが亡き恩師に対する使命です」
そう、イベントで力説した泉氏がXに投稿した「国民会計検査院」という7文字には、志半ばで凶刃に倒れた恩師の切実な願いが込められていた。