約半世紀前に社会現象となった特撮テレビドラマ「仮面ライダー」(毎日放送・東映制作、1971-73年放送)の変身ポーズ。その先駆者となった一文字隼人役の俳優・佐々木剛(76)が今年9月に旗揚げしたエンターテインメント系プロレス団体「怪獣プロレス」に映像で登場し、「地獄博士」という悪の首領キャラクターでインパクトを残した。11月4日の第2弾興行(東京ドームシティ プリズムホール)にも参戦する。都内で居酒屋を営み、新たな領域に挑む佐々木に波乱万丈の人生を聞いた。
同団体に出場する特撮テレビドラマ「バロム・1」の主演俳優・高野浩幸の紹介で参戦が実現。旗揚げ戦のスクリーンに大写しになった佐々木は会場に響き渡る声で怪獣プロレスの社長レスラー・雷神矢口を挑発した。その矢口は「鳥肌が立ちました」。佐々木は「役者として悪役が楽しい。最初に悪役をやったのは必殺シリーズ(「必殺仕置屋稼業」など)で、それが面白かったんですよ」と明かした。
アクシデントから人生が急転した。初代の本郷猛を演じた藤岡弘、が撮影中のバイク事故で重傷を負って降板し、2代目として佐々木が第14話から登場。新たに変身ポーズを取り入れて大ブームになった。
同時期、佐々木は大阪の朝日放送で中山千夏主演の〝脱ドラマ〟「お荷物小荷物」(続編の「カムイ編」にも)、NHK連続テレビ小説「繭子ひとり」に出演。大阪と東京を往復するハードな日程の中で「藤岡が帰ってくる場所を整えてやりたい」という劇団同期への男気と、自身が世に出たTBS系テレビドラマ「柔道一直線」で世話になったプロデューサーへの義理を通して仮面ライダー2号になった。視聴率は30%を超えた。藤岡の復帰後も2人ライダーや次作「V3」以降のゲスト出演を重ねた。
だが、82年に借りていたアパートの火災で大やけどを負い、人生は暗転する。
「生きてるのが不思議なくらいの重体だった。生き延びたが、やけどで役者復帰は無理だとなった。子どもが3人いたから、死に物狂いでいろんな仕事をしました。焼き芋屋をやっていた時、お客さんに『あらっ?』と気づかれると、『いや、よく言われるんですよ、似てるって。一文字隼人やった、あの人、亡くなったんじゃないですか』と自分のことを殺してしまった。『寂しいな』と思ったけど」
「竿竹屋をやっていた時、東北では雪おろしにも使えるから竿が売れるかなと思って、青森まで行ったんだけど、『繭子ひとり』で主人公の出身地である八戸で『あなたは…?』と言われそうなので秋田に抜けようとしたら、もやがかかって幻想的な景色があまりにも美しくてね。車を止めて呆然と見入りながら『これを背景に芝居できたら気持ちいいだろうな』という思いで東京に帰って、石橋のところに行った」
「石橋」とは同世代の盟友で、学園ドラマの主役や大ヒット曲「夜明けの停車場」で70年代前半に一世風びした俳優・石橋正次だ。
「俺はホームレスだったからね。そう言うと誤解されるんだけど、家を出て、車で寝起きしながら仕事をしていたということ。家がないという意味です。ゴミ箱なんか開けたことないし、今より稼いでいましたよ。稼いだら、その日のうちに飲んで、パチンコで使っちゃう。翌日の仕入れとガソリン代が残ればいいやと。石橋の家でよく飲んで泊まってたけど、石橋から芝居の話は一切しない。俺の口から芝居のことが出るまで、彼は待ってくれた」
東北で〝啓示〟を受けて帰京し、石橋に思いを打ち明けて舞台の仕事をもらった、だが、翌日、酔いが覚めると「やっぱりできない」と姿を消した。
「あがり症なので舞台が怖かった。それで、もう時効だろうと石橋の家に顔を出したら、奥さんに『何してたの!』って玄関先で怒鳴られてね。芝居のチラシができていたのに、俺が連絡しないものだから写真もなくて…。あそこで戻ってなければ、俺は生きてなかったと思う。それから6年間、無料で芝居をやりました。休まず稽古をしたから無収入。役者として再起してからの方が食えなかった。でも、以前は目が覚めて『神さん、なんで、俺のこと生かしとくんだ』と、すごい酒の飲み方もしてたんだけど、朝、目が覚めて、うれしいって思えるようになっていた」
91年に舞台で俳優復帰。2012年には東武東上線の大山駅近くに居酒屋「バッタもん」をオープンし、再婚した妻と2人で店を切り盛りしている。
店内には親交の深い漫画家・村枝賢一が描いたイラストや、縁のある人たちのサイン色紙が壁に飾られ、グッズが置かれている。屋号の由来は「仮面ライダーがバッタだから。あと、客に『まずい』と言われたら『看板見て入ったの?俺はバッタもんだ』と言うのにかけてるんだけど、そんなこと言われたことは一度もない」。素朴な味わいの「だし巻きたまご」などが人気メニューだ。
店内には自ら作詞作曲した「子供たちへの応援歌」というCDが置かれていた。今回の参戦も「子どもたちにプロレスファンになって欲しい」という思いに共鳴したから。喜寿を迎える来年には、昭和の代表的な特撮ドラマ俳優が共演する映画の企画もあるという。
「俺は一文字隼人をおんぶして生きている」。一度は「殺した」自身の代名詞キャラ。人生を放棄しようとしても、それをさせなかったのは、自身の背中にいる「一文字隼人」だった。