強打の内野手として西鉄黄金時代を牽引し、阪神監督など指導者を歴任した中西太氏が死去したことが18日、分かった。90歳だった。
中西氏は香川県出身で高松一高時代に「怪童」と呼ばれ、52年西鉄に入団。首位打者2度、本塁打王5度、打点王3度。52年新人王、56年MVP、ベストナイン7度、18年間で通算244本塁打、785打点、打率・307をマーク。99年に野球殿堂入りを果たした。
また指導者としても62年に西鉄監督、74年に日本ハム監督、80年に阪神監督。ヤクルト、近鉄、オリックス、ロッテでコーチを務め数多くの打者を育てた。阪神ではドン・ブレイザー監督の辞任に伴い監督へ昇格。ルーキーだった岡田彰布(現阪神監督)をレギュラーで起用し、新人王を獲得する活躍を引き出した。
また掛布雅之も恩師と慕い、85年の日本一へ強力打線の礎を築いた。