落語家・いなせ家半七さん、すい臓がんで死去 64歳 兄弟子&師匠の春風亭小朝が追悼

よろず~ニュース編集部 よろず~ニュース編集部
写真はイメージです
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 落語家のいなせ家半七(いなせや・はんしち、本名・国本貴久=くにもと・たかひさ)さんが、11日にすい臓がんのため64歳で死去していたことが16日、わかった。落語協会が公式サイトで発表した。

 同協会はサイトで「当協会員のいなせ家半七(本名:国本貴久くにもとたかひさ)が、令和5年5月11日(木)午前0時40分に膵臓癌の為、永眠いたしました。(64歳)葬儀は親族のみですでに執り行われました。最後の寄席の出演は、令和5年4月20日の鈴本演芸場でした。謹んでご冥福をお祈りいたします」と明らかにした。

 半七さんは1980年、5代目春風亭柳朝さんに入門。前座名は朝吉で、85年に二つ目に昇進し、茶々丸と改名した。91年に2月に柳朝さんが死去し、兄弟子だった春風亭小朝門下へ移籍。96年に真打ち昇進を果たし、「いなせ家半七」を名乗った。

 小朝はこの日、自身のブログで半七さんが死去したことを報告。「2月の中席に浅草演芸ホールで開催したうちの師匠の追善興行に出演したあと、4月中席の鈴本演芸場が最後の寄席出演となりましたが、浅草の寄席では後輩たちのために稽古をつけておりました」と近況を明かした。

 さらに「一時は真剣に政治家を目指しておりましたが、ポスターも出来上がり、応援演説の日程を僕と調整している段階でアクシデントのため立候補を断念その後は温泉博士として、全国の有名な温泉や秘湯を巡りながら雑誌に寄稿をしておりました」とも明らかにした。

 「大変なモテ男で、素敵な奥さんがいるにもかかわらず、ワキの女性に不自由したことがありません」としつつ、「後輩からはとても慕われておりましたし、うちのスタッフもみんな彼のことが大好きでした ひと言でいうなら、優しくていい奴。信用できる男です」と評価。「最後の最後にそれまであまり縁のなかった鈴本さんの高座に上がれたことは良かったと思いますが、秋までに寄席のトリを務めてもらおうと考えていたところだったので、それが実現できなかったのが心残りです」と早世を惜しみつつ「いなせ家半七!あばよ、この色男ッ」と別れを告げた。

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