ロックバンド・エアロスミスのフロントマンのスティーヴン・タイラーが、25歳の時に10代の少女に性的虐待を行ったとして告発されている。ジュリア・ホルコムさんは当時16歳だった1970年に、スティーヴンから虐待を受けたと主張、カリフォルニア州では時効を一時的に解除し、幼少期に性的虐待を受けた者が申し立てを行うための「振り返り」期間を認めた「児童被害者法」の期限が昨年12月31日となっていた。
書類では、スティーヴンの名前を出さない代わりに「被告人」と記されているが、10代の少女との関係が生々しく描かれているスティーヴンの自伝が引用されている。
スティーヴンとの関係について以前語ったことがあるジュリアさんは、性的暴行、性的暴力、意図的に精神的苦痛を与えられたとしており、また、母親から後見人を引き受けたスティーヴンから、薬を強いられ、中絶するよう圧力をかけられたとも主張している。
スティーヴンの代理人はこの疑惑についてコメントをしていないものの、回顧録「ダズ・ザ・ノイズ・イン・マイ・ヘッド・ボザー・ユー?」には、1970年代にダイアナという名のティーンエイジャーと3年ほどの交際をしたことが明かされている。
回顧録では「彼女は16歳で、意地悪の仕方も知っていた。毛も生えていなかったよ。俺は26歳で、彼女はやっと運転できる年齢、ものすごくセクシーで、ただ彼女に夢中になってしまった。リトル・ボー・ピープ の恰好をした可愛い痩せたおてんば娘だった。彼女は俺の心の欲望であり、情熱の犯罪のパートナーだった」とつづられている。
また、スティーヴンは同書の中で「ティーンエイジャーの花嫁」を取りそうになった事を明かし「自分に惚れ込んだ」ジュリアさんの両親が「州外に連れ出しても逮捕されることはないように親権を引き渡した」と自慢していた。
ジュリアさんは、16歳になったばかりの1973年にオレゴン州ポートランドでのエアロスミスのコンサートでスティーヴンと出会い、その後ホテルの部屋に行き、年齢について話し合った後に「さまざまな犯罪的性行為」を受けたと話している。
17歳のときにスティーヴンの息子を妊娠したが、アパートが火事になり、煙が赤ん坊に悪影響を与えたかもしれないと言われ中絶を迫られたとしており、中絶の際スティーヴンはベッドサイドでコカインを吸引していたと話している。
ジュリアさんはスティーヴンとの関係が終わった後、カトリックに改宗、反中絶活動家となり、自分の経験を繰り返し語っている。