2階建ての一軒家はレトロゲームに埋め尽くされていた。茨城県在住のプラウドローさんは48歳、日本屈指のコレクターだ。2018年には「レトロコンシューマー愛好会」を立ち上げ、現在は1800人超に膨らんだ会員のトップに立つ。コレクターと会長。二つの顔を持つ同氏に迫った。
「エレメカの最高傑作ですよ‼」と、ナムコが1979年に開発したエレメカ式アーケードゲーム・サブマリンに興奮。「こんな美しい線は他にありません‼」と、バンダイが1983年に発売し、オシロスコープと同じ画像方式を採用した家庭用ゲーム機・光速船に感動の声を上げた。
玄関の扉を開くとサブマリン、ニンジャガンなどのエレメカ機、アフターバーナーⅡといった体感アーケード機がぎっしりと並ぶ。靴を脱いで上がったリビングは、1980~90年代のおもちゃ屋のようだ。任天堂のゲーム&ウオッチをはじめ、ポピー、バンダイ、タカラ、学研などの電子ゲームが箱入りの美品で並んでいる。光速船やファミコン、ディスクシステム、貴重なゲームボーイモニターも存在感を放つ。「ディスプレイ用の棚も当時、おもちゃ屋で使われていた本物ですよ‼」。自慢のコレクションを説明する際は、つい声量が大きくなってしまう。
隣の和室は仲間と親交を深めるための応接室の機能を持ち、ファミコン、メガドライブなどのプレー環境を整備。カシオが1983年に売り出したPV-1000、トミーが1982年に発売したぴゅう太、1981年にエポック社が発売したカセットビジョンなどのソフトはコンプリートされ並べられている。「僕はゲームの本体、ゲーム画面、ソフトの箱を眺めるのが好きで興奮してしまいます。ゲーマーというよりもコレクターですね」と自己紹介した。
2階の洋室にはタイトーのアベンジャー、ウエスタンガンなどのレトロ筐体を設置。別の洋室には「デパートの屋上を再現しました」と、コナミ工業による国盗り合戦などのゲーム機、SNKが1980年に発売したサスケ VS コマンダ、1981年に任天堂が発表したドンキーコングなどのテーブル型筐体を設置。和室2部屋を合体させたスペースには貴重なゲームソフトが博物館のように陳列されている。
1974年生まれで会社を経営するプラウドローさんが、コレクターの道に進んだのは30歳を過ぎた頃。「ヤフオクで、子どもの時に祖母に買ってもらった原田企画の電子ゲーム『サブマリン』を落札したんです。とても懐かしくて、他にも集めようと思いました。当時は家が貧しくて、欲しくても買ってもらえないものがたくさんありましたから。気付いたらこんな状況になっていました」。中学校を卒業するまで、ファミリーコンピューターからPCエンジンまでは現役のゲーム好きだったというが、高校進学後は剣道の部活動、バンド活動、サーフィンに熱中した。プラウドローの名前はサーファー時代に映画「インデペンデンス・デイ」で敵に特攻を仕掛ける初老男のセリフ〝let's plow the road〟から、波に挑む気概を込めて命名したという。
入手先はネットオークション、独自のツテのほかに、古いオモチャ屋のデッドストック情報を入手して駆けつけるなど多岐にわたる。当初は住居の一室をコレクション部屋にしていたが、近所の親族が引っ越して空いた一軒家に移動。2017年頃から家庭用ゲームに加え、アーケード筐体収集にも乗り出したため、一気に手狭になった。現在では住居のガレージに筐体が複数置かれている状況で「妻からはあきれられ、3人の娘からも理解されていません。一人で楽しんでいますよ、ハハハ…」と、寂しげに笑った。膨大なコレクション数は把握できていない。海外から古いアーケード筐体を購入した際は、送料のみで100万円を超えたことがあった。費やした総額は「それは言えません」と語るが、数百万円の範疇では収まらないだろう。
2018年12月にツイッターで「レトロコンシューマー愛好会」を立ち上げた。現在は会員数1800人超。「ネットオークションに貴重なレトロゲームが出品されると、大半は海外勢に落札されてしまう。日本で生まれたゲームが海外に流出していることに危機感を抱いていて、国内を少しでも盛り上げたい思いがあります」と語った。オフ会の開催、ユーチューブチャンネルでの動画配信などが展開されている。
会長としての責任感を抱く一方、コレクター魂もとどまるところを知らない。現在はスーパーファミコンとゲームボーイのソフトコンプリートに挑戦中。現在の進ちょく度は8割ほど。2階和室に陳列されたソフトを眺め「ゲームボーイはソフトと箱が小さい分、かわいくて仕方ないんですよ。コレクションに終わりはありません」と、うっとりした表情を浮かべた。将来的には博物館等の施設をオープンさせる夢を持っている。
※プラウドローさんのすさまじいコレクションの数々はコチラ